かつては他にもあった送り火の字形
「京都五山送り火」の起源については、平安時代に空海が始めたとか、室町時代に第8代将軍足利義政が子どもを供養するために始めたなど諸説が論じられていますが、現存する資料によると、江戸時代前期の1600年代には確かに存在していたようです。
明治初期までは、「い」(市原野)、「一」(鳴滝)、「竹の先に鈴」(西山)、「蛇」(北嵯峨)、「長刀」(観音寺村)などの文字もあったとか。かつてはそれぞれの山で行うお盆の行事でしたが、60余年前に伝統を守り継ぐ保存会の連合会ができて以降、東から西へ順に点火していく現在のスタイルとなりました。
では、なぜ現在の字形が残ったのか。「大」という字を分解すると「一」と「人」となるため、これは「人」を表しているとか、空海が「護摩木」を大の字でかたどったからといった具合に、五山それぞれの由来にも諸説あります。一人の人間(大)が、経をたたえて(妙法)、神社をお参りして(鳥居形)、船に乗って(船形)、そして天界に向かう人の一生を表現している、という説もあるようです。
すべての山を見渡すことができる場所もあることはありますが、いずれの山も小さくしか見えませんので、お目当ての山を選んで、それに合わせた鑑賞スポットで体験するのがおすすめです。日が暮れる前や前日までに、山の様子や参拝などができる場合もあります。送り火のシンボルである「大文字山」は、軽装でもOKの初心者向けハイキングスポットとしても人気があります。片道約30分で着く「大」の火床では、京都市街を一望できる絶景があなたを待っています。ちなみに、送り火当日は一般の人が近づくことはできませんので、登る場合は前日までもしくは翌日以降にいたしましょう。
詳細については、京都市観光協会による京都観光オフィシャルサイト「京都観光Navi」をご覧ください。「京のまちを彩る、四大行事」として、三大祭り(葵祭、祇園祭、時代祭)と並んで紹介されています。