人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者(@keiyou30)が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

牛の奇病「スイートクローバー病」から生まれ、代表的な殺鼠剤であり、世界中で“人間”にも使われる【すごい薬】とは?Photo: Adobe Stock

奇病の原因を探れ!

 1920年代、カナダやアメリカ北部の牧場でウシが次々に出血を起こして死亡する事件が多発していた。原因は、ウシの餌として使用された「スイートクローバー」であった。

 スイートクローバーは、その名の通り甘い香りを持つ牧草だ。どうやら、腐敗したスイートクローバーを食べると、ウシの血が止まりにくくなるらしい。

 この奇病はのちに「スイートクローバー病」と名づけられた。

 スイートクローバーには、バニラに似た芳香を持つ「クマリン」という物質が含まれている。

 1941年、アメリカのウィスコンシン大学に所属する化学者カール・ポール・リンクらは、スイートクローバーが腐敗すると、クマリンが血液を固まりにくくする物質「ジクマロール」に変化することを突き止めた(1)。

 ジクマロールは、動物の体内に入ると血液の凝固を妨げるため、ひとたび出血すると止まらなくなる。これが、多くのウシを出血死に追い込んだ犯人だったのである。

 全くもって、ウシと酪農家にとっては厄介極まりない物質だった。だが、用途によっては便利な薬にもなる。ネズミの駆除に使えたからだ。

 リンクらは、ジクマロールを改良してできた薬を「ワルファリン」と名づけ、特許を取得した。ワルファリンの名は、「ウィスコンシン大学同窓会研究基金(Wisconsin Alumni Research Foundation)」の略称「WARF」と、クマリン(coumarin)の「arin」を合体させたものである。

 ワルファリンは殺鼠剤として人気を博した。

 ネズミがワルファリンを数日間摂取し続けると、脳や腹腔内に出血を起こして死亡する。従来の殺鼠剤のように、摂取後すぐに死に至るタイプの毒餌は、その毒性をネズミに気づかれやすく、確実に殺鼠するのが難しかった。

 一方、ワルファリンは無味無臭であるだけでなく、毎日摂取することで徐々に血液が固まりにくくなり、そのうち出血を起こして死亡する、というタイムラグがあった。

 この特徴的な効果こそが、殺鼠剤として有用な所以だったのである。

人間にも重要な薬に

 ワルファリンは今なお世界的に広く使われる代表的な殺鼠剤であり、ホームセンターなどでも簡単に購入できる。

 だが、ネズミの駆除だけに使用するにはもったいないほど貴重な薬だ。

 その強力な抗凝固作用は、人にも応用できるのではないか――。血が固まって血栓をつくり、これが血管を詰まらせて人命を奪う病気は多く存在する。

 例えば、脳梗塞はその一つだ。心臓の中で血栓ができ、これが血流に乗って脳の血管を詰まらせるタイプの脳梗塞を「心原性脳梗塞」という。

 特に不整脈の一種である「心房細動」は代表的な原因で、「心房」という心臓の部屋が小刻みに震え、内部で血流が淀んで血栓ができやすい。このような患者にとってワルファリンは有効だ。

 その抗凝固作用により、血栓ができるのを防げるからである。しかもワルファリンは、ネズミが摂取して死亡することからわかるように、経口投与によってその作用を発揮できる。

 つまり、人にとっては「飲み薬」になるのだ。点滴で投与しなければならない薬に比べ、これは圧倒的なワルファリンの利点だった。

 他にも、下肢静脈血栓症や肺塞栓症(足や肺の血管に血栓が詰まる)など、血栓が問題になる病気は多く存在する。こうした病気に対し、内服が可能な抗凝固薬は極めて有用だ。

 1950年代以後、人への安全性と有効性が数々の臨床試験によって確かめられ、ワルファリンは抗凝固薬として臨床現場で広く使用されるようになった。

 今なおワルファリンは世界中で“ヒト”にも使われる抗凝固薬の代表的な存在である。

【参考文献】
(1)“抗凝固薬の歴史と展望”齋藤英彦.血栓止血誌.2008;19:284-91.

(本原稿は、山本健人著すばらしい医学を抜粋、編集したものです)

山本健人(やまもと・たけひと)

2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)
外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に19万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。新刊『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)は3万8000部のベストセラーとなっている。
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