セブンはいかにして
コンビニ業界トップにのし上がったのか

 セブンがコンビニ分野に進出したきっかけは、1973年制定の大規模小売店舗法(大店法)だった。大店法とは、大手の総合スーパーなどが中小の小売店を圧迫することを規制するルールだ。セブンは総合スーパーに加え、小規模店舗分野に進出し収益拡大を目指した。当時、セブンのノウハウ取得の相手は、米国のサウスランド(当時の米セブン‐イレブンの親会社)だった。

 セブンは、サウスランドが導入した多品種少量販売の業態を取り入れ、改善を図った。店舗の整理整頓、データを用いた在庫管理や商品開発、異なるメーカーの商品を同じトラックに載せて納品する共同配送などである。

 日本の消費者はセブンの利便性を評価し、利用客は右肩上がりに増えていった。80年代半ば、国内で資産バブルが発生し景気が過熱すると、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の呼び声の下、セブンは積極的に新しい小売業態としてのコンビニ・ビジネスに取り組んでいった。

 一方、70年代のオイルショックをきっかけに、米国ではリスク分散のため異業種に進出する企業が増えた。サウスランドは石油精製や不動産などの分野に進出し、収益源を多角化したが、期待されたほどの成果を上げられなかった。そうして80年代、業績悪化からサウスランドは買収標的と見なされるようになる。

 創業家出身の経営者は自社防衛のため非上場化に踏み切ったが、そのタイミングが悪かった。87年10月の「ブラックマンデー」の株価急落後、サウスランドは債券を発行し非上場化したが、負債の増加により経営は悪化した。こうして91年、セブンはサウスランドを救済買収することになる。

 05年、セブン&アイHDは米セブン‐イレブンも完全子会社化した。当時、国境をまたいだコンビニ事業の買収は、経済安全保障上で問題視されなかった。その後、リーマンショックを経てガソリンスタンド併設型のスピードウェイを買収し、米国コンビニ事業の収益力は高まった。

 セブン&アイグループは国内では総合スーパーや物流などの事業も手掛けるコングロマリット(複合企業)へと変貌を遂げた。しかし、15年以降はアクティビスト投資家などがコンビニ分野への集中を求めることから、経営陣と対立するようになる。