ちょっと説明しておくと、吉坊さんの師匠は吉朝さん。吉朝さんの師匠が米朝さんになる。自分の弟子には、大師匠である米朝さんのもとで内弟子を3年間つとめさせるというのが吉朝さんの考えだった。

 米朝さんは上方落語中興の祖といわれる大名人。芸徳のみならず人徳の高さが伝わってくるような語り口が素晴らしかった(2015年逝去)。実は私も大ファン、ついつい話を聞きたくなってしまう。米朝さんは大の酒好きだったそうだが、食事どきはお酌も用事のうちだったのだろうか。

「いえいえ、1升瓶からご自分で直接コップに注がはります。常温で、ずっと手酌で。“いらち”ですから(笑)。人にも注ぎたがりましたね。ビールも飲まはりましたけど、大体が日本酒で。お酒はほぼ毎日でしたよ」

 いらちとはせっかち、気が短いみたいな意味の関西言葉。当時米朝さんは75歳、まだまだお元気だった。

「なんでこんなに飲めんねやろ……って思ってました(笑)。僕は酒の“稽古”も完全に米朝師匠からです。お酒は好きなんですよ、当時あまり飲める弟子がいなかったもんですから、『お、飲めんねやないかい』なんて喜ばれて」