人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者(@keiyou30)が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

【穴が開いた頭蓋骨が世界各地で発掘】病気は「呪い」が原因とされた時代に、何らかの霊を追い出そうとしてはじまったとされる「穿頭術」とは?Photo: Adobe Stock

がんとカニ

 がんに関する研究を行う学術団体「日本癌学会」のロゴマークは、星座のカニ座と、カニのハサミがモチーフになっている。また、東京都、有明にある「がん研」(がん研究会)のロゴマークも「カニ」であり、がん研有明病院のイメージキャラクターは、ハート形のハサミを持つカニの「かにこちゃん」である。

 なぜ、がんが「カニ」なのだろうか?

 実はこの言葉の由来は、紀元前四〇〇年頃まで遡る。ギリシャに生まれ、「医学の父」として西洋医学の基礎を築いた医師ヒポクラテスが、がんをギリシャ語のカニを意味する「カルキノス」と呼んだのが始まりだ。乳房に食いつき、皮膚をえぐるようにして広がる乳がんが、まるで足を広げたカニのように見えたからである。

 がんとは二〇〇種類を超える病気の総称で、がんは体のあらゆる臓器に発生しうる。だが、かつての「がん」といえばその大部分は乳がんであり、十八世紀頃まで長らくの間、「もっとも多いがん」は乳がんだった。

 むろん、現代においても乳がんは女性のがん罹患数第一位のがんである。だが、大腸がんや胃がん、肺がん、前立腺がんなど、罹患数の多いがんは他にも多くある。

 なぜ、医学史において長らく乳がんばかりが記録に残され、ヒポクラテスもまた乳がんに注目したのだろうか? その最大の理由は、乳がんが体表面のがんであることだ。

 十九世紀以前の全身麻酔がなかった時代に、体内の病気を治療するのはほとんど不可能だった。もっとも見つかりやすいがんが乳がんだったというわけだ。

 世界で初めて全身麻酔が行われたのは、江戸時代末期の一八〇四年だ。紀州藩の医師、華岡青洲が麻酔薬「通仙散」を世界で初めて合成し、一〇〇人以上の患者に全身麻酔手術を行ったとされる。実はこれらの患者も全員乳がんである。

謎の病気

 これは、がんに限った話ではない。

 お腹の中に起こるもっともありふれた病気に「虫垂炎」がある。盲腸にぶら下がる臓器「虫垂」が感染症を起こす病気だ。俗に虫垂炎自体が「盲腸」と誤って呼ばれているが、「盲腸」は大腸の一部を指す臓器名である。虫垂炎の標準的な治療は、手術で虫垂を切除することだ。

 だが実は虫垂炎も、長らくその存在を知られておらず、謎の病気であった。虫垂炎が初めて知られたのは、十八世紀になってからである。

 体表面の病気である乳がん、体内の病気である虫垂炎。いずれも現代ではありふれた病気だが、人類がその存在を知った時期には二千年以上もの開きがある。

 医学の歴史を振り返ると、外科医が体内にアプローチし始めたのはごく最近だ。外科といえばもっぱら、体の「外」を担当していたのである。

 とはいえ、人類史において外科治療を必要とする機会が多かったのは、むしろ体表面のほうである。人類のみならず、あらゆる動物は「怪我」から逃れられないからだ。

頭蓋骨に穴を開ける

 先史時代、外科治療といえば、その多くが外傷の治療であった。人間が生きる限り、外傷は免れられない。人体は自然界にある物質を寄せ集めた有機物にすぎず、驚くほどに壊れやすい。

 転倒、高所からの転落、他の動物からの攻撃。人間は常に怪我をし続け、外科的な治療は絶えず必要とされてきた。骨折した腕を添え木で固定したり、皮膚表面の傷を葉で覆ったりなど、先史時代からさまざまな外傷の治療が行われた。

 紀元前一七〇〇年代のハンムラビ法典には、手術による報酬や、失敗した際の罰則が定められ、膿の切開などの外科治療が行われたことがわかる。

 紀元前一六〇〇年頃につくられた古代エジプト時代のパピルスには、骨折や脱臼、腫瘍などの症例と、それに対する外科治療が掲載され、いわば外科学における最古の教科書である。

 また、人為的に穴が開けられ、骨がくり抜かれた頭蓋骨が世界各地で多く発掘されている。目的ははっきりしないが、病気が悪霊や呪いの類いだと思われた時代に、頭蓋骨に開けた穴から何らかの霊を追い出そうとした、という説がある。

 あるいは、頭部の外傷によって頭蓋内に出血が起こり、高まった圧を下げるための合理的な治療だったとも考えられている。いずれにしても、「穿頭術」は古くから行われてきた外科治療の代表例だ。

 このように、外科治療の歴史はとにかく古い。だが、今私たちが「外科」と聞いて想像するような、体をメスで切り開いて病巣を摘出する手術が普及するのは十九世紀以降である。

 これは、十九世紀から二十世紀に広まった二つの革命的な技術、「消毒」と「麻酔」によって成し遂げられたものだ。これらの技術がなかった十八世紀以前、外科治療は全くもって未熟なものだった。

 さらには、人類の病気に対する理解そのものが真実とは大きくかけ離れていたことも、外科治療が停滞した理由である。

(本原稿は、山本健人著すばらしい医学を抜粋、編集したものです)

山本健人(やまもと・たけひと)

2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)
外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に19万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。新刊『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)は3万8000部のベストセラーとなっている。
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