自分が厳しくしつけられたように
息子に接することに葛藤した吉村

 厳しいしつけというのは夫婦で共通していたようで、

〈子供は厳しくしつけなければならぬものだということでは、妻と私の考え方は一致している。〉(『月夜の記憶』講談社文庫)

 子供を叱ることに関して、吉村にはトラウマがあった。紡績と製綿会社を経営していた吉村の父親は厳しい人だった。

〈そういう父親で、何かあるとどなるわけですよ。それで立ち上がるとぶんなぐられるだろうと思って、庭からはだしで飛び出していったり何かするんです。(略)

 そういう恐怖感があるものですから、男の子は父親のことを常に憎悪しているんじゃないかみたいな考え方があって、ひっぱたいたあとはやっぱりちょっと気になりましたね、(笑)〉(「総合教育技術」昭和47年9月号)

 父親に対する印象は年齢と共に変わっていき、晩年には、

〈生きる道は異なっていても、真摯に一筋の道を生きた商人の父の仕方は、私の道にも通じている。商いに徹していた父が、私の師表とするものに思えてもいる。〉(『わたしの普段着』新潮文庫)

 と書いている。それでもトラウマは根強くあったようで、津村によれば、風呂場で頭から水をかけたときは、これで子供には憎まれるだろうと哀れなほどしょげていたらしい。