南部エリアに残される「ガマ」
警報が鳴るたびに身を隠す
沖縄本島の南部は戦争遺跡が集中するエリアとして知られている。
前述した「10・10空襲」以降、アメリカ軍は1945年3月26日には慶良間諸島(那覇市の西方)に、そして4月1日には沖縄本島の読谷村に上陸。沖縄の制圧を目指し、怒涛の攻撃を開始する。
おかげで人々は警報が鳴るたびに防空壕に身を隠さなければならず、その際に活用されたのが、当地の方言で「ガマ」と呼ばれる自然壕だった。南部エリアの大地の大半は隆起サンゴ礁でできているため、自然にできた穴や洞穴が多数存在しているのだ。
例えば、旧・具志頭村の「クラシンジョウ」と呼ばれる壕もそのひとつ。具志頭村は琉球時代に具志頭城が置かれた地域で、そんな貴重な史跡すらも戦火に焼かれてしまったのは残念だが、城跡を海に向かって回り込むように降りていくと、クラシンジョウの入口がある。
戦後から手つかずの状態で保存されているこの壕は、もともとは近隣住民の避難所として使われていたもので、後に日本軍の本部壕の役割を担うことになり、軍人と住民が共用していたという。
現在も見学者が多く訪れるスポットで、内部は岩肌が剥き出しになった自然の状態のまま。砲撃の轟音に耐えながらこの暗闇で過ごす一夜を想像するのは、あまりにも痛ましい。
なお、壕に隣接するトーチカ(防御用の軍事拠点)には、上陸してきた敵兵を射撃するための銃眼が開いていて、まさにここが戦闘の前線であったことをリアルにイメージさせる。