日本製造で進む「子会社離脱&操業停止」、“M&A錬金術”の全貌と厳しさ増す仲介会社への視線日本製造の本社オフィス。旧社名であるMJGの表示が掲げられている Photo by Yasuo Katatae

創業7年で延べ37社の中小企業を買収し、業容を急拡大させた日本製造。だが同社のグレーなM&A手法や傘下に収めた子会社のずさんな管理について、社外取締役が問題視したことなどをきっかけに、法令違反の疑いなどさまざまなトラブルが浮上していることが判明。足元では、同社の子会社の離脱や操業停止が相次いでいる。日本製造の経営方針はもとより、M&Aを支援した仲介会社にも厳しい視線が注がれることになりそうだ。(ダイヤモンド編集部副編集長 片田江康男)

日本製造で子会社離脱の動き
M&A仲介会社には厳しい声

 技術力がありながら、後継者不在などで事業の存続が危ぶまれる中小企業を買収してグループ化し、「ものづくりプラットフォーム」を構築するとうたう日本製造。代表者の田邑元基社長は理想を実現すべく、2017年の創業以来、製造業を中心に37社(被買収会社の子会社を除く)を買収し、業容を急拡大させてきた。

 さらに、第二電電(現KDDI)の共同創業者である千本倖生氏や日本M&Aセンターの共同創業者である分林保弘氏らを社外取締役に迎え、執行役員には日立金属(現プロテリアル)で社長を務めた平木明敏氏、顧問には元日産社長の西川廣人氏らの著名経営者が脇を固める体制を築いた。

 ところが同社の内実は、掲げた理想とは程遠い状況にあった。

 23年11月には、M&Aの決定などを取締役会で決議することなく、田邑社長の独断で行われていることは会社法違反だと社外取締役らに指摘され、それをきっかけに経営権争いに発展。上記の著名経営者らは相次いで辞任したことに加えて、社外取締役を務めていた千本倖生氏から、金銭消費貸借契約を巡り訴訟を提起されるなど、ものづくりプラットフォームどころではない混乱した状況に陥っていた。(『著名経営者・千本倖生氏vs日本製造の訴訟が大詰め!M&A仲介業界が固唾をのんで見守る理由』参照)

 日本製造の混乱は、単なる中小企業の経営の失敗として片付けることができないほど、他業界へ影響を及ぼしている。最も状況を注視しているのが、同社の買収戦略を支援したM&A仲介会社だ。

 今年に入ってから、ルシアンホールディングスのケースなど、中小企業の買収を繰り返し、その後トラブルに発展するケースが社会的に大きな注目を集めている。M&Aを支援した仲介会社の姿勢に疑問を呈する声が、日に日に大きくなっているからだ。

 そんな中で、日本製造傘下の子会社が相次いで離脱していることが、ダイヤモンド編集部の取材で分かった。

 日本製造の田邑社長は子会社の離脱について、自身が23年11月に社長を解任され、24年2月に経営に復帰するまでの期間の経営陣による働き掛けが主な要因であると指摘。その上で、「再び傘下企業が単独資本で債務を背負い経営をしていく判断については経営の選択肢であり、反対する理由はありません。また、私は買収後2年で黒字転換の見込みがたたない事業は転換・停止・精算する方針」だと主張している。

 だが取材を進めると、子会社が離脱する最大の理由は、日本製造が子会社から資金を吸い上げる“M&A錬金術”であることが分かってきた。関係者の証言を基にした典型的な離脱交渉の一例と、日本製造のM&A錬金術を次ページで詳しく解説していく。