プーチンから見たウクライナは
アメリカに魂を売った裏切り者

 2008年のジョージア戦争や2024年のクリミア占領の場合、きっかけはそれぞれジョージア側からの攻撃と、ウクライナ国内の政治的な混乱だった。ロシア側は、そうした機会につけ込んで、軍を相手領内に送り込んだのだった。

 ところが2022年は、20万近い軍をウクライナ国境に集めた上で、正面から全面的な攻撃に踏み切った。これは、なじみのあるプーチン氏の手法ではない。

 人格の変化、それも「焦り」や「短慮」という言葉で表されるような、悪い方向への変化が起きているのではないかという疑念が深まる。

 プーチン氏が忌み嫌う「反ロ的なウクライナ」。ここでの「反ロ」は、NATOへの加盟などの軍事的な意味合いだけを指す言葉ではない。

 2022年5月9日の戦勝記念日に行った演説で、プーチン氏はソ連崩壊後に「自分は特別だ」と考える米国に多くの国が服従したと指摘した上で、こう主張した。

「我々は異なる。ロシアには異なる性質がある。我々が祖国愛や信仰、伝統的な価値観、先祖代々の習慣、全ての民族と文化への敬意を捨てることは決してない」。

 米国による価値観の押しつけに屈することを道徳的な退廃と位置づけ、それに抗する崇高な戦いの中に、ウクライナへの侵攻を位置づけたのだ。

 プーチン氏はここで「全ての民族への敬意」を強調している。これは、ウクライナの尊厳を踏みにじる今回の戦争と矛盾しないのだろうか。

 実は、プーチン氏の頭の中では、話はまったく逆なのだ。ウクライナはロシアと一体不可分の民族だ。ロシアから離れようとするウクライナ人こそが、米国に魂を売った裏切り者だ。これが、プーチン氏の理屈だ。

 こうして、プーチン氏の中では、ウクライナでの戦争は、米国の一極支配への抵抗というより大きな戦いの一つの局面として理解されている。

 米国の価値観が及ばないロシア中心の世界を築く。ウクライナはそのために不可欠な領域だ。そう考えるプーチン氏の戦いの終わりは見えない。