「3.11の記憶」がよみがえった8月の暴落、愚か者のリストに署名したPhoto:Tomohiro Ohsumi/gettyimages

「元手65万円から資産160億円」を築いた片山晃氏が、自らの投資行動やその時々に感じたことを交えながら、インターネット証券の黎明(れいめい)期から今日までの相場を振り返る連載『片山晃 東証相場録』がスタート。ネットの発達や企業の開示姿勢が柔軟になったことで、個人投資家も株式投資に必要な膨大な情報を集められるようになった。ただし、その大部分は銘柄情報や金融政策の変更など目先の内容である。相場は姿や形を変えて繰り返すことが多い。投資の教科書には掲載されない歴史や、リアルな投資判断の裏側にある考え方を知ることは、皆さまの投資技術の上昇にも役に立つはずだ。(個人投資家 片山 晃)

すさまじい投げの連鎖によって
2営業日で資産の50%を失った

「買い板がなくなる」――。

 マイナス 4451円、12.40%安という記録的な暴落となった2024年8月5日の後場。先物が1回目のサーキットブレーカーにヒットしようかという矢先に、東日本大震災の記憶がよみがえってきた。

 2011年3月、私は震災後の2営業日で資産の50%を失った。前年の秋に資産1億円の大台を突破したかと思うと、年明けにはすぐさま2億円まで到達。日の出の勢いでレバレッジ全開の勝負をしていた時に突如訪れた暴落により、あっけなく天国から地獄へと突き落とされた。

 地震の発生は3月11日の14時46分。現物の大引けまでは14分、先物オプションを含めれば30分近くの取引時間が残されていたことになるが、私は福島の隣県である山形に住んでいて、大きな揺れを感じてとっさにPCのディスプレーを押さえた頃にはもう停電してしまっていた。

 ただ、仮に取引が可能な状態だったとしても、即座にすべてのポジションを投げるという行動には至れなかっただろう。確かに地震の規模は大きいと直感できたが、あれほどの大惨事を招くとは誰も想像していなかったからだ。

 実際、日経平均の当日の引け値は前日比179円安の1万0254円であり、下落率は1.71%に過ぎなかった。だが、津波によっておびただしい数の犠牲者が出ていること、福島第一原発が緊迫した状況にあることが一夜明けて判明すると、恐怖は瞬く間に日本列島を支配した。

 週末を経て翌営業日となった3月14日の日経平均。終値は633円安の9620円、6.18%の大幅下落となったが、真の暴落はその翌日に訪れた。3月15日、昼休み中に原発の放射線量が異常値を示したと報じられた時、誰もが最悪の事態だけは免れてほしいと祈ったに違いない。

 そのような極限状態において、株価の割安さを論じる冷静さを持ち合わせた投資家はもはやどこにも残っていなかった。ただただ逃れたい、その気持ちが殺到した結果、日経終値は1015円安の8605円となり、下落率は10.5%にまで達した。

 生命の危機を前にしては株価などどうでもいい、そういう心理が生んだすさまじい投げの連鎖であった。