化学最大手の三菱ケミカルグループが構造改革に乗り出した。4月に社長に就任した筑本学氏は「化学回帰」を掲げ、従来の規模拡大路線からの転換を急ぐ。今から10年前の「週刊ダイヤモンド」2014年4月12日号では、「看板事業に大ブレーキ 規模拡大戦略の野望と誤算」と題し、三菱ケミカルホールディングス(現三菱ケミカルグループ)の経営をレポートしていた。記事からは、業界の盟主として推し進めてきた規模拡大路線のほころびも浮かび上がる。特集『化学サバイバル!』の#9では、当時の記事を再配信。グループを率いていた小林喜光社長のインタビューも再掲する。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)
世界首位のMMAなどで合理化遅れる
国内エチレン設備のリストラを決断
「合弁相手との資本構成を抜本的に変えるなら今がチャンスだ」
「いや、まだもうかる。このままでいこう」
さかのぼること2011年、三菱ケミカルホールディングスの中核会社、三菱化学の経営幹部たちが集う会議室では、主力製品の一つであるテレフタル酸の事業再構築について議論が詰められていた。
ポリエステル繊維の主原料として使われるテレフタル酸は同社の前身、三菱化成時代から社長を何人も輩出してきた伝統部門だ。事業規模は2500億~3000億円とグループ内でも群を抜いた大きさで、アジアでトップシェア。長らく花形事業だった。
ところが2000年代に入り、ポリエステル繊維の一大需要地となった中国で急速に自給化が進んだ。地場メーカーが生産能力を急拡大したことにより世界の需給バランスは悪化。勢力図は様変わりした。
小林喜光社長は09年、競争力を失った国内工場の閉鎖を決断。本社機能をシンガポールに移転した。冒頭の会議では、海外工場について現地の合弁相手との提携関係を見直す案が出た。将来は収益性がさらに低下することを見越し、主導権を手放そうというものだ。
結局、その決断は先送りされた。小林社長は「まだもうかる」と判断した。事実、10年度業績にテレフタル酸は大きく貢献した。
しかし今、幹部の一人は「もうかっていたあのときが、株式を売るチャンスだった」と悔いる。というのも、中国勢の増強が12年以降に急加速し、世界の需給バランスが崩壊したからだ。
製品価格と原料価格の差であるスプレッドはかつての4分の1に激減し「ほとんどの企業が利益を出せていない」(横尾尚昭・ゴールドマン・サックス証券アナリスト)。安売り勝負の新興国企業にかつての主力企業が軒並み打ちのめされ、三菱ケミカルももはやメインプレーヤーではない。採算割れの状態が続いている。
同じく看板商品であるアクリル樹脂原料のメタクリル酸メチル(MMA)も苦境に立たされている。中国経済の減速により収益性が低下し、13年度の事業営業利益は当初計画の半分以下に落ち込んでいる。そんな中で約1600億円をかけて買収した英ルーサイトとの統合によるシナジーを出していないことが明るみに出た。
09年、それは三菱レイヨンにとって悲願の結婚だった。世界最大のMMA専業メーカー、ルーサイトを取り込み、世界シェア40%のトップに躍り出た。
しかし現場を見れば、複数のルートから同じ販売先に同じ製品を供給しているような状態の放置が続いた。原料調達や技術交換など年間利益ベースで20億~30億円のシナジー創出はあったものの、オペレーションやマネジメントはおのおの独立したスタイルのまま。世界に散らばる各工場は高稼働を維持したいがため、客先が重なろうとも構いはしなかった。世界最大手になったはいいが、MMA市況のバブルに浮かれ、合理化策を怠っていた。
テレフタル酸、MMAという世界に打って出るための強みとした規模の大きな汎用品事業で、その規模に甘んじた大きなほころびが今の業績に表れている。
ただ一方で、国内の汎用品事業に関して言えば、小林社長率いる三菱ケミカルは、業界に覚悟を促す生産拠点再編の主導役であり続けた。07年の小林社長就任後、数年かけて2500億円規模を持つ汎用品事業の撤退を断行した。
さまざまな石油化学製品の基幹原料となるエチレン。日本勢が原料とするナフサは、中東勢が原料とするエタンに比べ20倍以上も高い。さらに米国発のシェールガス革命が追い打ちをかける。天然ガスの価格が大幅に下がった北米では、16年から17年にかけて、国内生産量を上回る規模のエチレン増産が計画されている。
こうした危機感から、三菱ケミカルは他社に先駆け、化学会社の聖域であるエチレン設備のリストラを決断した。
●塩化ビニル樹脂
→水島のプラント停止(2008年)
●カプロラクタム
→黒崎のプラント停止(10年)
●テレフタル酸
→松山のプラント停止(10年)
●スチレンモノマー
→鹿島のプラント停止(11年)
●エチレンクラッカー
→鹿島の1基を停止(14年7月)
→水島で旭化成と統合、1基化(16年春)
12年春には事業会社の大胆なトップ交代も行った。小林社長は三菱ケミカル社長と兼任していた三菱化学社長を退き、代わって石塚博昭氏が昇格。レイヨンの社長には10年の買収・統合に携わった越智仁氏を送り込んだ。一方、三菱樹脂社長にはレイヨン出身の姥貝卓美氏を起用した。
出身母体の異なるトップのシャッフル人事を行うことで、組織を活性化し、巨大グループに一体感を持たせようとした。
この奇策が一定の功績を挙げた例が、三菱樹脂の赤字事業の解消だ。三菱樹脂は100を超えるビジネスユニットを持ついわば中小企業の連合体。赤字が常態化した事業が数多く、危機感がまひしていた。
姥貝社長は就任後、各事業部のトップを呼び出し、共にプランを練り直し、徹底的な在庫の適正化や生産改善に取り組んだ。撤退や他社への事業譲渡も厭わない姿勢が、社内に再び緊張感をもたらした。三菱樹脂発足時の08年度、20あった赤字事業を14年度にはゼロにする見込みだ。
しかし現実として足元の業績は芳しくない。事業の半分を汎用的な石油化学製品の素材事業が占め、その収益悪化が想定以上に進行していることから、13年度予想は四半期ごとに下方修正を重ねている。
国内エチレン設備などのダウンサイジングは生き残り策であって、今後大きな利益を出すものではない。テレフタル酸やMMAなど三菱ケミカルの顔である主力事業で打つべき手を打たなければ、収益力は失われるばかりだ。
世界に目を向けると、欧米の化学メジャーはダイナミックに事業構成を組み直している。彼らは原則として、事業がもうかっているときに売却するというセオリーを持つ。一方、日本勢は市況がよくなるまで耐え忍ぼうとし、売り手もつかないほど事業が傷んだときにようやく切り離そうと焦る。三菱ケミカルも例外ではなかった。
次ページでは、苦戦に陥っていた二つの主要事業について、三菱ケミカルが乗り出した合理化策を解説する。だが、記事の中身は、三菱ケミカルが大胆な事業シフトができないまま肥大化に至ったその後の10年の道のりを暗示させるものとなっている。一方、小林喜光氏はインタビューの中で、「米デュポンより大きくしたい」と規模拡大を追求する意向を表明。後に完全子会社化する田辺三菱製薬の出資引き上げに関しては否定していた。