コラムニスト・月岡ツキ氏のデビュー作『産む気もないのに生理かよ!』(飛鳥新社刊)が30代を中心に圧倒的な支持を得ている。本書は、女性のみならず男性も共感できる、現代に生きる「私たち」のためのエッセイ集だ。本稿では、同じく悩める現代人の共感を集めるベストセラー『人生は「気分」が10割 最高の一日が一生続く106の習慣』(著:キム・ダスル、訳:岡崎暢子)の発売記念企画として、「不快な人」との向き合い方についてのエッセイ月岡ツキ氏に寄稿いただいた。(企画:ダイヤモンド社書籍編集局)

職場に一人はいる「なんか不快な人」から自分を守る合理的な視点Photo: Adobe Stock

「不快」なのは、誰のせい?

 職場という場所には「不快な人」が必ずと言っていいほど、いる。

「この人の言い方、いつも棘があって無理」「こいつ、話通じないんだよな」「令和だとギリアウトなこと言ってんな」「常に微妙にマウント取ろうとすんなよな」「うわー今日機嫌わる」……などなど。組織で働いていると、内心思っていても言わない・言えないことばかりが溜まっていく。

 新卒から10年ほど会社員をやってきて、転職もして何社か経験したけれど、どの職場にも「不快な人」は存在していた。不快さにも様々あって、こちらに実害を及ぼしてくるような人はハラスメント通報窓口に連絡一択なのだが、「ハラスメントとまではいかないが確実に不快」というくらいの不快な人が、実は一番厄介な気がする。内心見下してそうな感じとか、会話が噛み合わなすぎるとか、うっすら男尊女卑っぽさが滲み出てるとか。

 まだ20代だった私はそういう「不快な人たち」に耐えられず、「不快な人が誰もいない職場」というユートピアを夢想していた。

 不快な人たちのせいで私はいつも少しずつ傷つけられており、損をしている。不快な人たちがいるから私はのびのび仕事ができない。だからこの人たち、いなくならないかな。デスノートがあったら誰の名前を書くだろう。Aさんは絶対書こう。Bさんはデスノートに書くほど悪い人ではないかもだけど、いなくなってもらった方が今より安心できそうだ。Cさんはどうしてくれようか……。

 なんてことを一人で日曜の夜に考えたことは何度もあるし、半期に一度の人事面談で「ぶっちゃけAさんのこういうところが苦手で…」みたいに訴えてみたこともある。しかし、末端の平社員が誰それが苦手だの誰それは言い方に棘があるだの文句を言ったところで、本人には何も伝えられないか、やんわり注意されておしまいだ。

 人事権もデスノートもない私には、引き続き「不快だな」と思いながら働くか、辞めるかしか選択肢がない。そして私はあまり堪え性がないので、後者を取ることが多かった。

 次の職場は不快な人がいないといいな。誰も私をぞんざいに扱ったり傷つけたりしてこないといいな。いつもそう思って新しい職場を探した。しかし、何度職場や部署が変わっても必ずと言っていいほど「不快な人」はいた。なんかおかしいな。もしかしてこれ、私にもなんかしらの原因があったりする……?

 職場を何度か変えるうち、やがて私は気づくのだ。この世に「不快な人が誰もいない職場」というユートピアは存在せず、自分もまた誰かにとっての「不快な人」として存在しうる、という恐ろしい事実に。