鬼頭邸の外観も内装もレイ子は嫌いだった。庭の雰囲気や母屋の廊下はどことなく市ヶ谷の旧真木邸を思わせるが、似て非なるものだった。

 旧真木邸は、甚八が死んだ後、鬼頭が売却した。「真木先生の政治的な遺産を守るために何かとカネがいる。先生の借金も返さなければいけないから、屋敷の処分は自分に任せてほしい」と言われ、断れなかった。それで鬼頭がいくら手にしたのか知らない。いずれにしても、その直後に鬼頭は等々力に自分の屋敷を建てた。

 鬼頭邸と旧真木邸の最も大きな違いは庭の趣味だった。旧真木邸の庭が荒れた山寺のような趣だったのに対し、鬼頭邸のそれは派手だった。滝のある築山や錦鯉の泳ぐ池は、いかにも成金といった感じがした。

 玄関で待っていると、鬼頭の妻がひざまずいて出迎えてくれた。和服のよく似合う二十代後半の美人だったが、レイ子はろくに話したこともない。

 鬼頭に対して違和感を禁じ得ないのは、甚八のような洒脱さがないことだった。家も、庭も、妻も、「これぞ」という典型を真剣にそろえる。その結果、おもしろくないというよりは、グロテスクなものが出来上がっていた。

 鬼頭の妻の案内で廊下を進む。庭を左に見て、廊下の右側には大きな畳の部屋がある。そこで、男たちが柔道やら剣道やら空手やらを練習して体を鍛えている。汗臭い畳の部屋の前を抜け、突き当たりが鬼頭の書斎だ。応接室ではなく、プライベートな部屋に通されることにも虫唾が走る。

「本日はご参列いただきありがとうございました」

「お疲れさん。真木先生もさぞ喜んでおいででしょう」

 鬼頭は法要後の会食には出席せず、家に帰った。風呂に入った後なのか、こざっぱりした和服に着替えていた。

 レイ子はテーブルに、自分がインタビューされた新聞記事があるのに気づいた。「ああ、今日はこれで説教されるのか」と憂鬱になった。

「ところで、この新聞記事だ。この中で、お前さんは『給料は交際費に使っています』などと答えているが、何だこれは。カネの使い方なんぞ聞く記者もどうかと思うが、お前さんの答えもどうかしている。はっきり言おう、お前は甘い。最近、浮わついているんじゃないか」

 ピシャリと言われた。確かにしゃべりすぎた。一般の労働者は給与を生活費に使うものであって、交際費に使うなどと新聞で公言するのは世間ズレも甚だしい。レイ子はいつの間にか、上流階級の一員になっていた。日本が占領下にあったころ、GHQの幹部らからパーティーに度々招待された。日本政府がアメリカのために用意した高輪の光輪閣という接待施設や本郷ハウス(湯島天神近くにあった三菱財閥の岩崎家の別邸をGHQが接収したもの)、軽井沢や日光といった避暑地で行われる贅を尽くしたパーティーは庶民の暮らしとは別世界だった。彼女は社交界での立ち振る舞いを、戦勝国の高官たちから学んだのだった。

 鬼頭から突き付けられた新聞記事には「永田町で権力を振るうスーパーウーマン」という見出しが躍っていた。

「真木先生が亡くなったとき、井戸と塀しか遺さなかった。井戸塀政治家だったということにしようと決めたじゃないか。お前の答えは遺産を受け継いでいることを認めたようなものだ」

 叱責は、全くその通りで、言い返す言葉がなかった。

「浅はかでした。反省しています」

 そう謝ると、鬼頭は黙ったまま彼女を見た。そして、「それならお詫びの印に、『リンゴの唄』でも歌ってもらおうか。最近、どこぞの料亭でも歌われていたそうじゃないか」と言った。

 言うまでもなく、レイ子が佐藤栄作に歌わせたことを当て擦っているのだった。

 彼女は観念して立ち上がった。

「よし、そうときたら、あいつにも聞かせてやろう」と言って、鬼頭は手を叩いて愛妻を呼んだ。彼女は目を輝かせ、手拍子を取ってレイ子の歌を聞いた。

 レイ子は、鬼頭から逃げられない自分の運命を恨んだ。

(つづく)

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