「オレが小さいころ、いつもあんたは寝てたよね」。

 心の奥底はわからないけれど、責める調子はないから、ありがたいな、と心の中で手を合わせている。

 そう、当時(いまもたいして変わりはないけれど)、わたしは毎日とてもつらくて、朝、起きることなんてできなかったし、昼間も昼間で具合が悪いことが多くて、息子が寝て、深夜、あたりが静かになると、ようやくからだを少し起こしながら、ひと息ついていた。

 音に過敏になる症状もあったから、こどもの声を聞くと本当は落ち着くはずなのに、そんなときはすべての音がつらかったんだよね。息子に対してごめんねと思えば思うほど、家の中の音は大きく聞こえてしまって、まるで自分を攻撃しているように感じてしまうのだ。

 そんな時期には、郵便物を取りに行くことすらできなかった。まるでずっと留守にしている家みたいに、手紙やら、チラシやらが玄関のポストにたまり続ける。ドラマみたいだけれど、本当だ(いまでもたまにあるけれど、最近はもう近所の人たちもあきらめ顔で、「またちょっと具合が悪いんだね」とわかってくれている。ありがたい……)。

 さて、ようやくそれらを取りに行ける日がきたとしても、こんどはその山が分類ができないし、開封もできない。なにか大切そうなものであればあるほど、封を開くことができない。開けた瞬間、私を混乱させ、おおいに悩ませる「(正しい)世の中」が侵入してくるような気がするからだ。それにくらべてチラシなんてその場で捨ててしまえるはずだけれど、その中にうっかりなにか大切なものが混じり込んでしまう気がしてくる。だからけっきょくすべてが混在したまま、こんどは部屋の中で放置されることになる。こんなときは、なぜかほんの短い時間が、永遠につづく時間のように感じられて、気を失いかけることもしばしばだ。

 そのうちにひと月が過ぎる。大切な書類の返送期限や提出期限は、とうぜん、切れているだろう。それに、すでにまたポストには、あらたな郵便物がたまっているはずだ。