ラジオ企画がテレビ番組へ発展
今では定番の視聴者投稿番組のはしり
ただ、同じ素人中心でも視聴者からのハガキがメインのテレビ番組となると前例がない。企画はそうすんなりとは通らなかった。最初に持ち込んだ日本テレビの井原高忠からは、「困りましたねえ。欽ちゃんは翔んでるから突然すごいこと言ってくるけど」と困惑された(萩本欽一『欽ちゃんつんのめり』読売新聞社、1980年、199頁)。
そこでフジテレビの常田久仁子のところへ行った。萩本は、スタジオとスタッフを貸してほしい。そのお金は自分が払う、とまで言って掛け合った(前掲『なんでそーなるの!』169頁)。異例の申し出である。調べてもらったところ、「600万」ということだった。
萩本の並々ならぬ意気込みを感じ取った常田は、結局特番の枠を確保し、制作費もフジテレビが出すようにしてくれた。しかも希望通り、番組タイトルに「欽ちゃん」も入れてくれた。それが、1974年9月21日放送の『欽ちゃんのドンと行ってみよう!ドバドバ60分!』である。
常田も、視聴者からのハガキを読む番組と言われて成算はなかった。だが「よくわからないけれど、ピンとくる部分があった」。そして「密室的なラジオのスタジオで読むはがきを、広い世間に持ち出してみたら」どうなるか、興味が湧いた(前掲『欽ちゃんつんのめり』200頁)。ラジオの文化放送出身で、テレビでもドキュメンタリー番組をつくっていた常田だからこそ、直観的にその面白さがわかる部分があったに違いない。
しかし特番の視聴率は、3.9%と振るわなかった。ただ企画の斬新さに業界内での反響は大きく、日本テレビがレギュラー化に動いた。するとそれを知った常田久仁子が「よその局にもってくんじゃない!」と萩本に直談判。最終的にフジテレビが権利を勝ち取った(高田文夫、笑芸人編集部編『テレビバラエティ大笑辞典』白夜書房、2003年、182頁、前掲『なんでそーなるの!』170頁)。