「窪田さんの場合はたとえるのなら、考えの違う隣りの国の人々を否定しないというのと一緒です。自国と異なる価値観を持つ国に対して“あいつらはバカだ”と攻撃せずに、“違う考えの人がいてもいいんじゃない?”と言っているだけですよね?」

 我々は何か大きな問題が起きたとき、「白か黒か」という単純な話にしがちだ。社会正義を実現するジャーナリストやメディアはそれが仕事と言ってもいい。ただ、「白」を正義だとすると、自動的に「黒」は悪になる。そして、正義の心が強い人であればあるほど、この社会をより良くしようと「黒」を糾弾し、この世から滅亡させようとする。それが旧統一教会信者への拉致監禁などの「正義の暴力」につながるのではないか。

 そんなことを考えていたとき、たまたまNetflixでアニメ『チ。 ―地球の運動について―』を観た。ご存じの方も多いだろうが、この作品は「C教正当派」という宗教の価値観がすべてを支配していた15世紀のヨーロッパ某国を舞台に、迫害や弾圧を受けながら地動説を信じて研究した人たちを描くフィクション作品だ。

 そのアニメの2月1日に放送された回の中で、正統派の教会に対して反旗を翻す「異端解放戦線」の組織長である女性が、無神論者の女性に対してこんなことを言うシーンがある。

「迷いの中に倫理がある」

 確かにフジテレビ会見で経営陣に対して罵声を浴びせ、口汚くヤジっていた人たちには「迷い」は微塵も感じられなかった。巨悪のフジテレビを懲らしめるという「正義」を実行している自分に酔いしれていたようにも見えた。

 もしかしたら今、ジャーナリストの皆さんが社会の信頼を取り戻すために最も必要なのは「白か黒かで割り切れない問題もあるのではないか」という「迷い」なのかもしれない。

(ノンフィクションライター 窪田順生)

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