「僕は以前から反統一教会の人たちに『お前らも(統一教会と)同じだよ』と指摘してきました。彼らは『カルトは悪いからやっつけよう』と断罪するだけ。信者の気持ちへの配慮は一切ない。その問題点を山上君はわかっている。メディアもすべてを『白か黒か』にする。カルト的です。」(週刊文春22年8月3日)

 これこそが最近増えている、ジャーナリストの「暴言」問題の本質のような気がしている。「白か黒か」を決めつけて、互いに互いを「お前は間違っているぞ」「いや、お前こそ間違いだ」と糾弾合戦をする。相手の主張は基本的に全否定なので、発する言葉が互いにどんどんナイフのように鋭くなっていくのだ。

 それは旧統一教会の取材をしていると、肌身で感じる。筆者は安倍元首相銃撃事件後、現役信者や旧統一教会側を取材しないマスコミの「旧統一教会報道」に疑問を抱き、旧統一教会の「聖地」や関連団体施設に足を踏み入れ、現役信者たちのべ100人あまりに話を聞いてきた。その結果は「潜入 旧統一教会」(徳間書店)にまとめた。

 しかし、出版後は「旧統一教会にまんまと洗脳されたバカライター」などとボロカスに叩かれて、高名なジャーナリストからは「反面教師にすべき本」なんて言葉もいただいた。私が著書の中で、旧統一教会の「被害」というのはかなり偏った情報に基づいているものであり、信者が洗脳されているとは思えない、などと主張しているからだ。

 これは旧統一教会を「黒」とするジャーナリストの皆さんからすれば、あり得ない「妄言」だ。彼らからすれば私は「救いようのないバカ」か「カルトに洗脳されたライター」でしかないのだ。

 ただ、私はジャーナリストでもないので、自分が絶対に正しいとも思わない。むしろ、それだけ立派な方たちが「あいつは洗脳されている」と指摘するのならば、自分で気づかないだけでその可能性もあるかもしれない、とさえ思う。というわけで今、「WEB本の雑誌」というところで、自分自身が洗脳されているのかどうか、旧統一教会に操られていないのかをテーマに取材を続けている。

「洗脳疑惑ライターがゆく 私、洗脳されてますか?」

 ちなみに、今回はオウム真理教の裁判にも出廷したマインドコントロールの専門家・西田公昭・立正大学教授に取材をしている。旧統一教会の悪質性も指摘している西田教授に「私は旧統一教会にマインドコントロールされちゃっているんでしょうか?」と質問をしたところ、こんな答えが返ってきた。