「どちらにも寄らなければ、取り引きは成立しない。私がプーチン氏についてひどいことを言っておいて『やあウラジーミル、われわれの取り引きはうまくいっているか』と言うのを望んでいるようだが。それではうまくいかない」

 これはみなさんも身に覚えがあるはずだ。

 例えば、誰かと喧嘩をした際に仲裁にきた者が、その喧嘩相手といつも自分の悪口を言っているような人だったら、あなたはその仲裁に乗るだろうか。「どうせグルなんだろ」と疑心暗鬼になって、話に耳も貸さないはずだ。

 だから、トランプ大統領の言うように、バイデン前大統領は絶対にこの戦争を止めることはできない。公の場でプーチン大統領を「彼はまともな人間ではない。独裁者だ」などと繰り返し批判をしてきた人間にいくら猫なで声で「平和のために交渉をしよう」と持ちかけられても、プーチン大統領としては信用できるわけがないのだ。

 納得がいかない人も多いだろうが、さっきまで「殺し合い」をしていた国同士を交渉させるには、それくらいの「信頼関係」が必要だ。「あいつは独裁者だ」「約束を破る嘘つきだ」と罵りながら、停戦の約束なとできるわけがないではないか。

「そんなことまでして見せかけの平和を手にしても意味はない!ロシアに非を認めさせて被害を全て回復させるまで妥協すべきではないのだ!」という意見もあるだろう。

 しかし、そうやって戦争を続ければ続けるほど、死者は膨れ上がっていく。戦時中の日本のように「一撃講和」(敵に甚大な被害を与えて終戦交渉を有利にもっていく考え)を目指しているうちに、終戦のタイミングを逃し、すさまじい数の死者を出したケースもあるのだ。

 さて、このような形で停戦交渉に必要不可欠なものがわかると自ずと、「仲裁役」に必要な資質も見えてくる。

 それは戦争というものを「ウクライナ=正義 ロシア=悪」のような善悪の衝突だと見ていない人だ。

 戦争は「正義と正義のぶつかり合い」であることが多いので、どちらかを「悪」だと断罪している人に仲裁役は務まらないのだ。

「はあ? 報道を見りゃロシアが悪に決まっているだろ」という人も多いだろうが、今我々が多く目にしている「ウクライナ戦争」の報道は基本的に、西側メディアが取材して、西側諸国の価値観に基づいて論じられている。