「彼は確かにウソつきだ。最も大きなウソつきだ。しかし、ほかのみんながウソをついているとしたら、それはウソつき競争になる。この競争に勝てるのは、もっとも大胆なウソをついている人。つまり、それはトランプだ」

 邦訳もされた『大停滞』『大格差』など数々のベストセラーで知られる論者だけに、グローバル経済についての読み解きの鮮やかさにうならされた。しかし、世間の常識の逆を行く「芸風」にこだわり過ぎたせいか、原書の出版直後に『ビッグビジネス』を通読したとき、CEO報酬を擁護した章はいつもの切れ味に欠けるように思えた。

「哲学的な有能さ」と職責の重さが一定の高給に値すること自体は多くの人が認めるところだろう。しかし、典型的な労働者の399倍(2021年、リベラル系シンクタンクの経済政策研究所調べ)にまで膨らんだCEO報酬の水準は、「一定の高給」の範囲に入るのだろうか。1965年では20倍、1989年でも59倍にとどまっていた。

 株価にひもづく報酬体系が本当に企業価値の最大化につながってきたのかという「利」、つまり効率性の面でも、株主や従業員、ほかの利害関係者との配分のバランスが倫理的に望ましいのかという「理」、つまり公正性の観点からも、それは疑わしい。

経営者は株主のカネで大きく賭ける
その損失をかぶるのは株主と社会

 有力な反証の一つは、これまで見たとおり、経営に明確に失敗し、株主や会社、そして社会全体に甚大な損害をもたらした人物ですら、法外な報酬を得るのが当たり前になっている現実だ。それは「能力と業績への対価」という建前が、いかに空虚なのかを物語る。

 金融緩和や好景気など、主に外部環境のおかげで株価が上がっている「棚ボタ」であっても、自らの功績のごとく振る舞い、不均衡なほどの利得を私する。逆に、力量不足や判断ミスから経営に失敗したとしても、報酬はそこまで劇的には減らされない。最悪の場合クビになったとしても、ゴールデン・パラシュートが用意される。

 株主という他人のカネで大きく賭けをし、当たれば不釣り合いに利益を懐に入れるが、外れれば株主と社会が損失をかぶる。分かりやすいモラル・ハザード(倫理の崩壊)である。経営にしくじって会社を破綻寸前に追い込み、尻ぬぐいに政府が乗り出す場合は、納税者にまで負担やリスクを押しつけていることになる。リーマン危機時の大銀行が典型だ。また、パンデミック初期、ボーイングがそうなりかけたように。