子どもたちは、こくんと頷いた。
「うん、わかった。お習字のお稽古には、バスに乗っていくんだね」
子ども3人とバスに乗ってお稽古に行く練習を重ね、長男が妹弟の手をとってバスに乗ることになった。しかし、いざ始めてみると、いろいろなことが起きた。
バスに揺られているうちに3人とも眠り込んでしまい、30分ほど経ったところで目を覚まして慌てて降りたものの、どこにいるか分からないと涙声で職場に電話をかけてきたこともある。
バス停で子ども3人がランドセルを抱えてうたた寝をしている姿を見た親戚の人から「とんでもない母親だ」「そこまでして働かないといけないのか」と非難されたこともある。
しかし、山田さんは動じなかった。自身も小学生のときは1時間のバス通学をしていたから「大丈夫、うちの子たちは大丈夫」と揺らぐことがなかった。
夫は、妻の思いを理解して、家事・育児も分担してくれた。しかし料理は苦手。そこで山田さんは1カ月分のメニューを考えてレシピファイルをつくり、1週間分の食材をまとめて買い出しするようにした。
休みの日に数日分まとめてつくったり、出勤前に食材を切りそろえたりと工夫をこらし、食材保存のために冷凍庫を買い足した。
「うちの墓に入れるわけには…」
義父からも非難の声が
最大の問題は、年に1度の「シーミー(清明)」の日だ。先祖をうやまうシーミーは沖縄では重要な行事で、お墓の前に親族一同が集まり、墓の前にシートを敷いてみなで重箱の料理を囲む。時には三線に合わせて島唄がうたわれることもある。
山田家も数十人が集まる賑やかな日となるが、ホテルにとってもシーミーは年に一度の大きなイベントのため、休むわけにはいかない。
そこで朝5時くらいから夫の実家で重箱料理を用意して、8時には抜けて職場に向かう。夫の父はこれが面白くない。
「シーミーに来ないヨメなど、うちの墓に入れるわけにはいかない」
こう言って渋い顔をするのだ。共働きの最大の難関は、親戚の目だった。