2010年までに、政府による韓流と医療観光の支援が後押しとなって、美容整形手術は日常の議論やオンラインフォーラムで普通のものとされ、一般大衆におおいに受け入れられた。包帯を巻いた整形手術後の患者がソウルを歩き回っているのを見るのは珍しくない。
2020年の韓国ギャラップの調査によると、2000年代の初め以来、70パーセントの韓国人は美容整形をタブー視していないという。
ソウルの美容整形では、たいていは隠すような体の部分に関してすら、隠すものが一切ない。
いくつかデータをあげよう。
・12歳から16歳までの娘がいる韓国の母親の4人にひとりが、娘に美容整形を勧めたことがある。
・2020年の韓国ギャラップの世論調査では、19歳から39歳までの女性の3人にひとりが美容整形を受けたことがあるという。19年のある調査によると、韓国人が初めて美容整形を経験した平均年齢は23歳だった。
・前述の世論調査によると、労働市場でのチャンスを高めるためなら美容整形を受けると答えた男性は59パーセントだという。これは1994年に比べると、30パーセントの急上昇だ。
・結婚市場でのチャンスを増やせるなら美容整形を受けると、66パーセントの女性が答えた。
日本人医師が二重まぶたの
整形手術を開発した理由とは
最も人気のある美容整形手術に関してだが、まぶたの整形手術が行なわれた記録は19世紀後半にさかのぼる。
1896年、当時、日本の眼科医の美甘光太郎(みかもこうたろう)は自分が発明したと主張する手術を行なったあと、一重まぶたから二重まぶたを作ったという自身の外科技術について、この手術では最初に知られている論文を書いた。
彼は日本の医学誌の「中外医事新報」に自身の方法を詳細に記し、手術前後の目の絵も載せて、自らの独創的な手順の改良点まで紹介している。
美甘は目の上を切断せずにまぶたを縫合することで二重にする方法を考案し、彼よりも1世紀以上あとの外科医たちがまぶたの手術に使い始めた、メスを使用しない「新機軸」を予測していた。
日本は数百年もの鎖国のあと、1854年の日米和親条約の締結に続いて、西洋の影響を受け入れるようになった。西洋化の波は食べ物からファッションにまで及んだ(編集部注:日清戦争終結が1895年4月。この勝利によって日本は近代国家として欧米先進国に認知されるようになった)。