彼らの影響力はすさまじく、パンクムーブメントの顔といえるバンドグループになりました。1977年には、イギリスのチャートで1位を獲得しています。

イギリス王室に敬意を込めた
「ハリス・ツイード」

 しかし80年代になると、パンクファッションの人気に陰りが見えはじめます。大きな引き金となったのは、ピストルズのメンバーであるシド・ヴィシャスが1979年に亡くなったことでした。ブランドは、ここから方向転換を始めます。

 1981年、ヴィヴィアンは初のランウェイショーを実施します。

 1983年にはパリ・コレクションで自身の服を発表。「ヒュプノス」という名前が付いたコレクションについてヴィヴィアンは「蛍光色が全てよ」と語っています。ちなみに、この頃には既にマルコムとは破局していたようです。

 4年後の1987年に発表したコレクションが、ヴィヴィアンの一つの転換点といえるコレクションになります。コレクション名は「ハリス・ツイード」。この作品は、世界的に評価されました。

 ハリス・ツイードとは、イギリス・スコットランドが発祥のウールツイードのことを指します。

 ヴィヴィアンが発表したこのコレクションは、イギリス王室への敬意を込めたパロディとも言えるもので、彼女が手掛けた名作のひとつ、若きエリザベス女王が着ていたプリンセスコートもこの辺りで登場しています。

「基本、つまりクラシックなポイントに戻る時だと感じたの」

 ヴィヴィアン自身は、当時のことをこう振り返っています。

 パンクの女王であり、反政府的なスタイルをしていた過去を持つ彼女が、エリザベス女王に準じる服を作り、評価を得る。この流れは、結構面白いのではないでしょうか。

 一方、ヴィヴィアンが本来得意としていたアバンギャルドで、過激な服が消えたわけではありません。それは現在ヴィヴィアンが発表している服を見ても感じることでしょう。

 パンクによる過激さと、イギリスらしい伝統的な要素を兼ね備えた服。それが、現在のヴィヴィアンなのです。

イヴ・サンローランが悔しがったカルバン・クラインの「大ヒット商品」と「衝撃CM」イラスト:吉川尚哉