ゲーム機をバキッと折っていいかどうかは、判断基準と文脈次第
「しつけの一環でゲーム機をバキッと折っていいかどうか」についていうと、当事者の子どもが虐待と感じていなければ、いくつでもバキッとへし折ればいいのである。これが適切か不適切か、褒められたことではないが仕方ないことなのかは、個々の家庭の文脈次第ではないか。
もちろん、高嶋氏がこのゲーム機の広告キャラクターであれば問題であろう。また、「ものを大切にする」方針を「ルールを守る」より重視する判断基準をお持ちなのであれば、評価も変わってくる。また、子どもがへし折られたゲーム機に心もへし折られ、挫折感を抱いて非行に走るなら、話は別である。
しかし、高嶋ちさ子氏のお子さんは自分たちのことを、母親に虐待されていると思っているだろうか? 親子のあいだに十分な愛情が欠けていて、かわいそうな育てられ方をしているだろうか? ヴァイオリニストの葉加瀬太郎氏が「あんなに純粋で美しい音色を奏でられる人に悪い人がいるわけがない」と、よくわかったようなわからないことを言っていたが、高嶋氏へのバッシングは、暇な三流評論家による、つまらないスケープゴート探しだ。
私は、高嶋氏が語っておられる「子どもが自分でつくったルールを破ったから叱った」というポイントに注目している。むしろここに注目せずにどこに注目して本件を論じるのか、という気がする。しつけを子どもに与えることは、子どもがしっかりと人生を自分で歩んでいくために何よりも大切な親からの贈り物であり、そのしつけの中でも最も大切な贈り物が、「自分で決めたルールを自分で守る」という自制心なのだ。
これが、母親が勝手に決めたルールであれば問題があるだろう。しかし双方合意の上でつくられたルールであり、かつ日ごろから愛情にあふれた緊密な母子関係があるという文脈であれば、「自分で決めたルールを守ることの大切さを教える手段」として、(見方によっては問題があっても)これほどの大バッシングを集中的に受けるような類のものではない。
きっと大騒ぎしているお暇な方々や評論家の先生方のご家庭より、高嶋ちさ子一家はより愛情にあふれて緊密な信頼関係に結ばれた、よい親子関係を築いておられるに違いない。
それでは、かなり前置きが長くなったが、ベストセラー『一流の育て方』の中から、自制心をしつける大切さを論じた第6章の冒頭の部分を紹介したいと思う。