野地秩嘉
第6回
伊藤忠の歴史が始まったのは安政5(1858)年。この年、伊藤忠兵衛は2名の従業員を指揮して「持ち下り」の商いを始めた。「持ち下りとは商品携帯出張卸販売のことで、小売行商とは違う」(『伊藤忠商事100年』)。

第5回
連載の第3回で触れた朝型勤務の話に戻るが、岡藤は朝早く出勤して働いた者には会社が朝食を出すことを決めた。一般に大企業の経営者は社員の朝ごはんのことまで考えることはない。だが、がんの闘病支援でも見られるように、社員の暮らしのディテールまで把握していることが岡藤の細心さとやさしさを表している。

第4回
伊藤忠は商社だから、海外勤務の人間が多い。ニューヨーク、ロンドン、上海といったところは拠点だから働く人数も多い。しかし、資源、食料、木材等の担当者の場合、たったひとりで働いているケースがある。いわゆるへき地の「ワンマンオフィス」だ。

第3回
仮に、業界他社が首位を狙おうとするのであれば、伊藤忠がやった社内改革、労働環境の整備を調べて、良いところはまねをすればいい。しかし、その形跡はない。特に労働環境の整備を学んだ様子は見られない。

第2回
伊藤忠が総合商社というカテゴリーのなかでトップに立ったのは、世の中の構造変化と運だろう。加えて、丹羽宇一郎、小林栄三、岡藤正広という3人の歴代経営者の施策が時代環境に寄り添ったからだ。

第1回
近江商人の初代伊藤忠兵衛が1858年に創業した伊藤忠商事。かつては「万年4位」ともささやかれてきた非財閥系商社は、いかにして総合商社トップの座へと成長したのか。多くの関係者への取材を通じて明らかにする。

第五十回
「幸せ食堂繁盛記」に登場した店の3割くらいは、クレイジーケンバンドのリードギター奏者、小野瀬雅生さんの示唆による。小野瀬さんのブログ「世界の涯で天丼を食らうの逆襲」を見て、あっ、おしいそうだ、安そうだ、幸せそうだと感じて取材に行ったものだ。わかりやすく言えばブログの本質を援用したものであり、もっと素直に言えばパクったことになる。だから、一度は謝罪しなければならないと思い、三軒茶屋の焼き肉店「焼き肉ケニア」に招き、謝りつつ、小野瀬氏の食に関する卓見を拝聴することにした。

第四九回
こばやしは目黒駅から一駅となりの不動前にある。味は創業の頃からまったく変わっていない。ラーメンを頼むと濃い色のしょうゆ味のとんこつスープ、多めの麺、チャーシュー、シナチク……。濃い色をしているけれど、昨今のどろどろしたとんこつスープとは違い、あっさりしているから最後の一滴まで飲み干すことができる。ここには本当の昭和のラーメンスープが生き残っている。

第四八回
ホルモン焼肉しあわせやで牛のホルモンの他に人気があるのが豚の三味盛り。300グラムで1280円。豚のバラ肉、タン、カシラが盛り合わせになっている。塩味、味噌味、しょうゆ味とタレの味を選べるが、これもまた味噌味を頼む人が圧倒的だ。ホルモン盛合わせと豚三味盛りを注文し、加えて白飯の大390円を頼めば大の男が3人から4人いても大丈夫だ。白飯の大はド迫力の盛り具合である。

第四七回
グラフィックデザイナーの大御所、長友啓典さんが、3月4日に亡くなった。享年77歳。長友さんは、知る人ぞ知る食いしん坊だった。共著も上梓し、晩年はゴルフ仲間でもあった本連載の著者・野地秩嘉氏が、故人を偲び、“トモさん”が生前、足繁く通った飲食店にまつわるエピソードを綴る。

第四六回
グラフィックデザイナーの大御所、長友啓典さんが、3月4日に亡くなった。享年77歳。長友さんは、知る人ぞ知る食いしん坊だった。共著も上梓し、晩年はゴルフ仲間でもあった本連載の著者・野地秩嘉氏が、故人を偲び、“トモさん”が生前、足繁く通った飲食店にまつわるエピソードを綴る。

第四五回
「やぶそば」といえば、かんだ(やぶそば)、並木(藪蕎麦)、池之端(藪蕎麦 ※現在は休業)の御三家が知られる。しかし、大岡山のやぶそばを忘れてはいけない。1953年、同店は東急大井町線の大岡山駅近くにオープンした。いまも1日に200人の客がやってくる人気店である。

第四四回
木村洋食店は西浅草にある。この地域の江戸時代からのランドマークは東本願寺だが、同店は、その裏に位置する。浅草・三社祭では、三ノ宮の神輿が通る。浅草は浅草寺だけではないと実感させる場所だ。2016年の暮にオープンしたばかりで、仲のいい夫婦ふたりの店である。

第四三回
町中にたくさんある「なんとか水産」という店の原型がトロ函だ。活きの鮮魚、貝をテーブルに載せたコンロの上で焼いて食べる。自分で魚を焼いて食べる楽しさがある。店内のインテリアは漁船のランプ、魚を入れるトロ函を駆使した、漁師の番屋といった雰囲気に造ってある。何より値段は破格に安い。サラリーマンの宴会にはぴったりだし、子どもがいる家族連れにもいい。

第四二回
浅草にある和洋食の店、「いいま」に来ると、まずメニューを全部読みこむだけで10分はかかる。次に自分が食べたいものを選ぶのに10分。そのうちいくつかを落として注文にたどり着くまでが大仕事で、これに15分はかかる。

第四一回
帯広に本店を持つパン屋、満寿屋商店。昨年末、目黒の都立大学にも店舗を構えた。同店は11月末にオープンしてから、連日、400人近い客を集めている。満寿屋は近隣のおしゃれなブーランジェリーから客を奪い、パンの激戦区でトップランクの人気店になったのである。なかには買ったばかりのパンの袋を抱え、近所にある公園、パーシモンホールのベンチに腰掛けて食べる人もいる。 さて、満寿屋の勝因は何なのだろうか?

第四十回
ポンチ軒は神田小川町にあるとんかつ、揚げものの店だ。店名は昭和4年(1929年 世界恐慌の年)に、とんかつを和定食スタイルで出した御徒町の洋食店「ポンチ軒」に由来している。店内に昔のポスターを貼り、ノスタルジックな雰囲気にしているのも、現在のとんかつ定食スタイルを作ったポンチ軒への敬意のあらわれだろう。

第三九回
長生庵は築地の場外にある、一見、普通の日本そば屋だ。朝の7時から営業している。その時間に食事をしている、あるいは一杯やっているのは、市場に仕入れに来ている飲食店の人が多い。

第三十八回
とんかつのおいしさでもうひとつ、よく言われるのが「揚げたてがいい」という話だ。だが、果たしてそれは本当なのか。「山さき」の山崎美香さんが作ってくれた弁当(写真)は万葉軒の薄い肉を4倍くらいには厚くしてある。肉はしょうが焼き用のそれ。それをカリカリに揚げて、下に千切りキャベツを敷いた。写真の弁当にはウスターソースがかかっているが、わたし自身は飛行機に乗る時はチューブからし、パック醤油を持参している。

第三十七回
とんかつと洋食の店「ひげ虎」は東横線新丸子駅の改札を下りて、目の前にある。同店のキャラクターを、ちょっと大袈裟に言えば、ずばり「肉の満漢全席が食べられる店」だ。
