こうして苦心の末に作られたスピーチは、ジョブズの生涯について書かれたものでした。あれほどの成功を収めていたにもかかわらず、自慢話は1つもなく、大学をドロップアウトした話、自分で興したアップル社を追い出された話、死に直面して考えたことなど、失敗や挫折の経験を通じて学んだ3つの教訓について触れたものでした。

 また、スタンフォード大学という歴史ある大学の卒業式だったせいか、いつもアップルの新商品発表で行うような華麗なプレゼンではなく、演台の後ろに立ち、原稿を読み、スライドも身振り手振りも使わずに行うという、大変地味なものでした。

 いわゆるプレゼン技法の専門家が提唱する理想の話し方とは、かけ離れたものだったのではないでしょうか。

 それでも、ジョブズのスピーチは、世界中の人々の心を揺さぶりました。それはなぜでしょうか?

メッセージ、構成、ストーリーが感動のカギを握る

 そのカギは、スピーチ原稿にあると私は考えます。ポイントは、三つあります。

 第一に、メッセージが明確であり、聴衆の関心をズバリとらえたものだったという点です。

 ジョブズは3つの経験談を通じて、「今日が人生最後の日だと思って、何があろうと貪欲に自分の心に従って、愛することに取り組め!」というメッセージを伝えました。大学を巣立ち、社会の荒波に揉まれながら自らの夢に挑んでいく若者に対し、自らの人生を俎上に乗せて渾身のメッセージを放ったわけです。

 まさに、卒業という一歩を踏み出す瞬間の、聴衆の関心に合致したものでした。