業界は人材枯渇!?「ミスター百貨店」は不在

 三越伊勢丹ホールディングス(HD)、J.フロント リテイリング――。2000年代後半、国内百貨店グループで一気に再編が進んだ。その立役者だった経営者の多くは第一線を退いたが、業界関係者の間で今なお口の端に上るのは、彼らの名前である。下表で紹介するのは、当時の再編劇で重要な役割を演じた大物経営者の4人だ。

 旧伊勢丹社長として三越を事実上吸収。三越伊勢丹HDを08年に設立した立役者が、武藤信一氏である。営業のエースとして頭角を現し、「ファッションの伊勢丹」の地位を不動のものとした。会社の生き残りには規模拡大が不可欠と考え、業界の盟主だった旧三越を招き入れたが、自身はHD会長だった10年に64歳の若さで病に倒れる。

 その三越伊勢丹よりも一足早く、07年にJ.フロントを発足させたのが、大丸社長だった奥田務氏だ。トヨタ自動車社長や経団連会長を務めた奥田碩氏の実弟。統合相手である旧松坂屋HD会長だった岡田邦彦氏と偶然、東海道新幹線で隣の席になったのが統合のきっかけだと、日本経済新聞「私の履歴書」で述懐している。

 一方で、実現しなかった統合構想もある。高島屋(高の文字は、正式には“はしご高”)とエイチ・ツー・オー リテイリング(H2O)は08年、鈴木弘治・高島屋社長と椙岡俊一・H2O会長の2人が記者会見して統合が決まったと発表したが、後に破談。「社風が違い過ぎる」(関係者)のが理由とされる。とはいえ椙岡氏は旧阪急百貨店のトップとして、阪急阪神東宝グループの“親玉”である阪急阪神HDに頼ることなく、阪神百貨店との統合をまとめ上げた。

「経営統合の頃から、百貨店トップの特徴に変化が出てきた」。ある業界関係者は近年の百貨店のトップ人事についてこう指摘する。従来の百貨店では、最大の売上高を占める婦人服部門の営業を取り仕切ってきた人物がトップに立つケースが多かった。旧伊勢丹の武藤氏はこれに当たる。