女子学生の方が
合格率が低かった意外な理由

 ただ、データを学部ごとに精査すると奇妙な事実が明らかになった。各学部では、男子よりも女子の合格率が高かったのだ。一見、あり得ない話のようだが、なぜそんなことが起きたのか。

 その答えは、直感には反するものの、実に単純だった。女子は、合格者が元々少ない学部を多く受験していたのだ。

 当然、そういう学部では、男子でも女子でも合格率は低くなる。一方、男子は、合格者が多く出る学部を多く受験した。そういう学部は男女問わず合格率が高くなる。各部を取り出してみれば、合格率は女子のほうが男子より高くなっていたのだが、女子は合格しやすい学部を受けていなかったのだ。

 この結果から、この大学院ではどの学部でも合格者を決めるにあたって女子を差別してはいなかったことがわかる。しかし、これで大学院生の選抜に関して偏見が一切ないと証明されたわけではない。

 アメリカの場合、各分野の大学院生の数をどの程度にするか決めているのは、結局のところ主として連邦政府だ。どの研究分野にどのくらいの資金を割り当てるかを決めているのが連邦政府だからだ。女子が多く志望する分野に資金が回らないことが、女子の大学院生が増えない原因というわけだ。

 つまり、性別による差別をしているのは大学ではなく、政府、つまりは社会全体となる。社会が、男性の好む分野に優先的に資金を回すから男子の大学院生が多くなっている。

保険に入るのをやめる
自信過剰なドライバーたち

 すべての人が確率を苦手にしているわけではない。なかには確率が得意な人もいる。たとえば、自動車保険の会社は、事故の確率を正確に推測する必要がある。それができなければ会社は倒産するだろう。また私たちが保険会社に掛け金を払うのは、その会社が事故の確率を正しく見積もっているはずという信頼があるからだ。

 車の運転は、日常生活のなかのごくありふれた行動だが、同時に危険性の高い行動でもある。ありふれた行動だけに、どうしても悪いことが起きる確率を低く見積もりがちになる。実際以上に安全だと思い込んで保険に入るのをやめる人もいる(大半の人が自分のことを平均以上のドライバーだと思っているという事実もあまり驚きではない)。

 保険への加入率を高めるには、人がいかに事故の確率を過小評価しているかを証明するようなデータを皆に提示する必要があるだろう。

 車の運転以上に多くの人が危険性を過小評価しているのが「人生」だ。だからこそ、健康保険への加入を法律で義務づけるべきか否か、というテーマが議論になるのだろう。

 人生は車の運転と同じくありふれているし、皆がそれに伴う危険性を過小評価している。何しろ人生において人が死亡する確率は「100%」なのだ。何人も死からは逃れられない。