淘汰されるべきは「ゾンビ企業」ではなく「ゾンビ企業」論である

 第三に、もし、非効率な企業が多数温存されていて、産業構造全体が非効率なのであれば、その国の経済は供給能力が不足するから、本来ならば、インフレになっているはずだ。したがって、仮に「ゾンビ企業」論が正当化できる場合があるとしても、それは悪性インフレの時であって、デフレ時ではない

 しかし、日本は、インフレどころか、二十年以上もデフレである。そして、現下のコロナ危機においても、一部の物資でコスト・プッシュインフレが発生しているものの、全体としては、消費や投資の減少によるデフレ圧力の方が大きい。

 デフレ時に、企業の廃業や倒産を促進したら、どうなるか。需要不足であるため、職を失った労働者の再雇用は困難である。したがって、失業者が増大する。失業者が増大すれば、需要はますます減少し、デフレが悪化する。デフレ下では、新陳代謝などは起きない。一方的にやせ細っていくだけなのだ

 第四に、現下のコロナ危機で、政府の支援なしに生き残る可能性がより高い企業は、内部留保がより大きく、資金に余裕がある企業であろう。しかし、内部留保が大きい企業とは、積極的な投資を控え、労働者への分配も抑制して、利益を貯めこんできた企業である。

 設備投資や労働分配に積極的な優れた企業の方が、内部留保が少ないため、コロナ危機の下で、資金がショートしやすい。つまり、優れた企業の方が、コロナ危機によって「淘汰」されやすいのだ。

 第五に、コロナ危機の中、もし政府の支援がなければ、体力の弱い中小企業が多く廃業・倒産し、体力のある大企業の方が残るだろう。つまり、市場参加者の数が減るのである。その結果、コロナ危機によって、市場の寡占化が進むということになる。

 寡占市場では、企業間の競争が起きにくくなるので、経済の効率性は落ちてしまう。また、寡占企業は、企業の市場への新規参入を阻害する。それこそ、本当に「新陳代謝」が起きにくい産業構造になってしまうのだ。

 もし、「新陳代謝」が起きやすい経済にしたいのであれば、市場のプレイヤーの数を多く維持し、競争状態を保つことである。そのためには、政府は、むしろ企業の廃業・倒産を防ぐ経済政策を実行しなければならない。そして、需要を拡大し、デフレを脱却して、積極的な新規投資や起業を容易にするマクロ経済環境を回復することだ。

 以上、「ゾンビ企業」論の問題点を五つ列記してきたが、最後にもう一つ、最も深刻な問題が残っている。

 それは、政府が、経済運営の責任を放棄するという問題である。
 もし、「ゾンビ企業」が退出すれば景気が良くなるというのであれば、政府は、不況に対して何もしなくてもよくなる。すなわち、政府に対して、景気回復の責任を問うことはできなくなるのである。その代わり、不況の中で、何とかして存続しようと努力している企業が、景気回復を妨げる「ゾンビ企業」として糾弾されることとなる

 こうして、「ゾンビ企業」論は、不況の責任を問う声を政府から逸らし、あろうことか、弱っている民間企業へと向かわせるのである。政府からすれば、まことに好都合な論理ではあるが、その結果としてもたらされるものは、不況の深刻化、そして、より非効率な経済構造なのだ

「淘汰」されるべきは、ゾンビ企業ではない。「ゾンビ企業」論である。

中野剛志(なかの・たけし)
1971年神奈川県生まれ。評論家。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)など。『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)に序文を寄せた。