失敗も、成功も、すべては「今があるための必然」

――今回の本は『反省記』ということもあって、第一幕のマイクロソフト時代も、第二幕のアスキー時代も「たくさんの失敗を重ねてきた」という見せ方を本ではしているのですが、実際のところ、西さん自身は「自分の経験」についてどのように捉えているんでしょうか?

 もちろん、失敗はたくさんしてきました。でも、その失敗がなかったら次はないわけで、マイクロソフトとだって別れてよかったと思ってます。

 あのままマイクロソフトにいたら、副社長になってお金持ちになっていたでしょうけど、それはあくまでもマイクロソフトありきの話であってね……。僕は、「マイクロソフトも半導体をやるべきだ」と主張して、周りの人に政治的にはめられて、ビル・ゲイツと対立したわけだけど、マイクロソフトにとどまっていれば、「半導体」の夢はあきらめるしかなかった。そうしていたら、その後の僕はなかったですよね。

人生において「成功」と「失敗」の“境界線”はない最初に設計したLSIのマスクプリントの前で撮影。

 だから、ビル・ゲイツに「自分の持ち株の10%をやる」と言われたこともあるんですけど、「そんな株、いらねぇよ」って言ったんです。ビル・ゲイツの前で、そんなことを言ったのは僕だけでしょ(笑)。でもなんと馬鹿なんでしょう。

――うーん……。

 まぁ、ビルと大喧嘩をして、マイクロソフトを追い出されて、そのことで10年くらいは苦しみました。

 でも、僕はエンジニアとして「MS-DOS」と「GW-BASIC」と「TCP/IP」をローカルネットワークに乗せて、マウスとCD-ROMをWindowsに繋いだ。それにマイクロソフトを辞めたからこそ、グラフィックスとCPUとコミュニケーション半導体も作った。それは当時としては、どこに出しても恥ずかしくない業績だと思っています。

 アスキー時代には、ビジネスマンとしてベンチャーをやって、株式上場もやったし、リストラもやった。結局社長は辞めたけど、あれだけ複雑な会社を運営して、会社を潰さなかったという自負はあるわけです。

 それに、社長を辞めたからこそ、本格的に大学教育の世界に入ることができた。そして、教育者としての経験を積んだからこそ、大学をつくろうという「目標」も生まれたわけです。

 世間の人は「あれは失敗だ」「ダメだった」とか言いますが、そういうさまざまな経験や業績があって、そして、いろいろ失敗もするからこそ、次の人生に繋がっていくのではないのでしょうか。

人生において「成功」と「失敗」の“境界線”はない

――なるほど。周りの雑音に惑わされず、前に進み続けろ、と?

 そうそう。宇宙飛行士が、地球の外に出たときに「宇宙から見た地球には国境はなかった」と言うのとちょっと似ていて、自分の人生をマクロの視点で俯瞰して、全部『反省記』に書いてみて何を思ったと言えば、「失敗」と「成功」の“国境”なんてないということです。

 ひとつの「成功」が次の「失敗」の原因になり、その「失敗」が次の「成功」につながっているのではないか。人の一生というものは、ドミノ倒しが延々と続くように、「失敗」と「成功」の因果がひたすら続くものなんでしょうね。そういうことが、『反省記』を書くことで、よく理解できました。

 つまり、「今までの毎日に無駄はなかった。本当の意味での失敗はなかった。本当に失敗ならば今、生きてはいない」ということです。すべてのことが「今があるための必然」だと思うのです。

 もちろん、『反省記』は僕のことについて書いた本ですが、これは、多かれ少なかれ、誰にでも共通することじゃないかと思います。ぜひ、みなさんにも『反省記』を読んでいただいて、ご意見やご感想をお寄せいただければ嬉しいですね。

人生において「成功」と「失敗」の“境界線”はない西 和彦(にし・かずひこ)
株式会社アスキー創業者
東京大学大学院工学系研究科IOTメディアラボラトリー ディレクター
1956年神戸市生まれ。早稲田大学理工学部中退。在学中の1977年にアスキー出版を設立。ビル・ゲイツ氏と意気投合して草創期のマイクロソフトに参画し、ボードメンバー兼技術担当副社長としてパソコン開発に活躍。しかし、半導体開発の是非などをめぐってビル・ゲイツ氏と対立、マイクロソフトを退社。帰国してアスキーの資料室専任「窓際」副社長となる。1987年、アスキー社長に就任。当時、史上最年少でアスキーを上場させる。しかし、資金難などの問題に直面。CSK創業者大川功氏の知遇を得、CSK・セガの出資を仰ぐとともに、アスキーはCSKの関連会社となる。その後、アスキー社長を退任し、CSK・セガの会長・社長秘書役を務めた。2002年、大川氏死去後、すべてのCSK・セガの役職から退任する。その後、米国マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員教授や国連大学高等研究所副所長、尚美学園大学芸術情報学部教授等を務め、現在、須磨学園学園長、東京大学大学院工学系研究科IOTメディアラボラトリー ディレクターを務める。工学院大学大学院情報学専攻 博士(情報学)。

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人生において「成功」と「失敗」の“境界線”はない