首相の菅義偉の退陣表明を受けた自民党総裁選は、当初想定された“オールスター”ではなく“ジュニアオールスター”の様相だ。ただ、選挙全体の構図は前首相の安倍晋三が9年にわたって構築した「安倍1強体制」の存亡が懸かった大戦になりつつある。派閥総崩れの総裁選は自民党の歴史をさかのぼっても例を見ない。
その流れをつくったのは間違いなく自民党元幹事長の石破茂だ。石破が立候補を見送り、国民的な人気ではナンバーワンの行革担当相、河野太郎との連携が成立したことで、派閥の縦割り構造が一気に崩壊した。安倍が率いる細田派、副総理兼財務相の麻生太郎の麻生派という党内の第1、第2派閥だけでなく、党内7派閥のうち5派閥が自主投票に追い込まれた。
石破は第1次安倍内閣と麻生内閣の二つの内閣で、安倍と麻生の首相退陣を迫った過去があり、両者と総裁選でも争った。
このうち2012年総裁選では、地方党員票で安倍を上回りながら国会議員による決選投票で、安倍に大逆転されたという苦い思いを引きずっている。結局4回も挑んだ総裁選は敗退続き。このため石破は安倍、麻生から徹底的に排除されてきた。その石破と麻生派の河野が手を組むことは「安倍・麻生体制」の分断を意味した。石破の河野との連携は形を変えたリベンジでもある。石破は総裁選を前にこう漏らしていた。
「これまでと同じように立候補して再び負ければこの悪循環から抜け出すことはできない」