「成功できないのは本人の努力不足」が根本的に間違いである理由

仕事がうまくいかないのは自分のせいだ、社会でうまくやっていけないのは自分の努力が足りないからだ……。一般的に、そう自己責任で物事を捉えるのは「良いこと」だとされています。しかし、「元・日本一有名なニート」としてテレビやネットで話題となったpha(ファ)氏は、そういった考え方に疑問を呈し、「自己責任は50%がちょうどいい」と語ります。
今回は、「自己責任論の否定」をテーマに約100冊の独特な読書体験をまとめた著書『人生の土台となる読書』の発売を記念し、特別インタビューを実施。一般的な生き方のレールから外れて、独自のやり方で生きてこれた理由についてphaさんに伺いました。(取材・構成/川代紗生、撮影/疋田千里)

「自己責任は50%」くらいがちょうどいい

──今回の本、個人的にすごく刺さりました。言うなれば、「マイノリティのためのブックガイド」なのかな、という印象があって。社会でうまく馴染めない、自分はダメ人間なんじゃないかと自分を責めてしまう……。そうやってどんどん自分の首を絞めてしまう人にとって、救いになる読書論ではないかと。

pha:ありがとうございます。そうですね、今回の本を書くにあたって、「自己責任論の否定」が大きなテーマの一つでした。

 僕自身、ずっと社会にうまく馴染めなかったんですよね。小さい頃から友達を作るのが苦手で本ばかり読んできたし、大人になってからもずっと「働きたくない」と思っていて、今も定職につかずにふらふらと暮らしています。

それでもラクに生きるにはどうしたらいいのか」というのをずっと考えてきて、そのためにいろいろな本を読んできたんですが、そんな読書の中で得たのが「自己責任は50%」という考え方です。

──すべての責任は100%自分にある、ではなく、自分の責任は50%程度だ、という考え方ですよね。

pha:「うまくいっていないのは、その人の努力が足りていないからだ。成功したければもっと努力しろ」という能力主義的な考え方は、あまり好きじゃないんです。

 世の中でうまくいっている人たちは、本人が頑張ったからうまくいったというよりも、そもそも環境や運に恵まれていることが多いんですよね。たとえば、東大生の親の収入を調べると、年収900万円以上の人が65%以上もいるらしいんですよね。

──日本人の平均と比べると圧倒的に高いですね。

pha:もちろん収入の多い家庭に生まれたからといって100%東大に入れるわけじゃない。けれど、全体の割合で言うと、お金持ちの子どものほうがいい学校に入って良い収入を得やすくなる、という事実がある。これを社会学の言葉で「階級の再生産」と言います。

──はじめて聞きました。

pha:もちろん、年収がそれほど高くない家庭から、努力して勉強して奨学金をもらって優秀な大学に行って、そこから「エリート」と呼ばれるような仕事に就く人もたくさんいるでしょう。

 けれど、そうした少数の例を見て「お金がなくても頑張って東大に入った人はいる。だからすべては自己責任だ」と決めつけるのは間違いです。それは「生存者バイアス」という認知バイアス(認知のゆがみ)です。少数のうまくいった人たちの裏側には、うまくいかなかった多くの失敗例がある

 人生は本人の資質以上に、生まれ育った環境に大きく左右される。そのことに無自覚なままで、「自分が成功したのはすべて自分の努力のおかげだ」と断言するのは傲慢だと思うんです。

──翻って考えると、社会でうまくいかないことがあっても、それもすべてが自分の責任とは限らない、ということでしょうか。

pha:そうですね。ただ、「自己責任は0%。自分がどれだけ頑張ろうとすべては環境で決まる」と考えるのも、それはそれでよくないと思っています。

 個人の頑張りで変えられる部分はある。自力でなんとかできる部分はなんとかしたい、という気持ちはあったほうがいい。でも全部が全部自分のせいだと考えていたら、どんどん生きづらくなっていってしまう。そう考えると、「自己責任は50%」と考えるくらいがちょうどいいバランスだと思っています。

 環境の影響が100%ではなく、本人の行動によって変化する部分もあるし、たまたま運次第でそうなった部分もある。世界は一つの視点で簡単に言い切ってしまえないくらい複雑なもので、その複雑さを知ると、人間は自然に謙虚になる

 そうやって多様な視点で物事を見られるようになることこそが、本当の「教養」じゃないかと僕は思います。