目の前の人へ心を寄せると
人生が好転する

 仏語には「不二(ふじ)」という言葉があります。不二とは二つで非ざるもの、つまり、私とあなたは二つではなく一つであるという意味です。私が存在するから、あなたが存在し、私が存在しないということは、あなたも存在しないということ。つまり、私とあなたは一つですから、批判したり、争ったりすることには意味がないという捉え方です。

 相手が苦手なので話したくないという場合、自分にとってこの人は他人ではなく、自分そのものだ」と不二の意識で接してみると、その瞬間、その人は他人ではなくなるので、こう言ったら馬鹿にされるのではないか、こんな言葉を使ったら軽蔑されるかもしれない、といったつまらない意識は消えて、腹を割った本音のトークができるはずです。

 誰にでも好きなタイプの人間、嫌いなタイプの人間が当然います。しかし、いくら自分の苦手な人を自分の人生から切り離しても、結局そういう人たちは出てくるし、そういう人たちを切ってしまうと自分の器もどんどん小さくなってしまいます。

 出会った人はご縁をいただいたわけですから心から感謝をして、その人の尊厳に最大限寄り添い、存在を慈しむといった想いで接していく。そうすると、どんな人でも必ず良いところが見えてきて、そこから好きになることもあるでしょう。相手に対する興味を持ち、相手の長所にフォーカスすると、相手もあなたに興味を持ち、良い側面を見てくれると本書では説きます。愛は愛を生み、憎しみは憎しみを生むという事かもしれません。

 それに対して青年は苦悶します。

青年:それはよくわかりますが、正直なところ、人が苦手という意識が払拭できそうにありません。面倒くさいと思ってしまうのです。ネットがあれば、家でゲームをしたり、映画を見たりしていられますから、人と関わらなくても楽しく過ごせます。

康仁:人に対しての無関心さが加速していますね。慈愛や寄り添うという気持ちは、無関心とは対極になります。また、嫌いだと思う気持ちや憎いという感情も、同じように無関心とは対極にあるのです。その人に関心があるから、そういう感情が湧いてくるわけです。
 無関心の反対は関心ですが、心が動かない状況は無関心の状態です。目の前の事象に対して感動したり、喜んだり、怒ったりと、心が動かないと人生も動いていきませんよ。
 心を動かすことを「感応(かんのう)」といいます。陰陽五行論では感応しないと人生が好転しない、つまり「陽転」しないと説きます。人に無関心というのはしらけている状態ですから、人生が好転していきません。

青年:やはりそうですか。人に無関心では寄り添うなんてできっこないですよね。

(本原稿は、小池康仁著『「自分」の生き方 運命を変える東洋哲理2500年の教え』から一部抜粋・改変したものです)

小池康仁(こいけ・こうにん)
一部上場企業に入社後、IT・戦略会計・人材育成分野のコンサルタントとして、主に上場企業を中心に10年間コンサルティング業務に従事。国内大手メーカーの教育機関に転職後、国内外の人材育成業務に携わる。その後、独立起業し、現在は数十社の会社を統括する経営者であり、経営アドバイザーとしても活躍中。また東洋哲理思想の帝王学・陰陽五行論を経営に活かす第一人者として、現在全国で2000名以上に指導を行っている。