文化を創造するビジネスがいま、注目を集めている。そして文化の創造そのものが、大きな価値を生み出しているものが、ファッションをはじめとするラグジュアリー領域だ。ラグジュアリー領域は、高価なバッグや衣服に代表されるかつての典型的なラグジュアリーから変容を続けている。そしてラグジュアリーは、人文社会学と深い関係を持つ。今回はポストラグジュアリーをテーマとしているプロジェクト Letters from nowhereの方々、ミラノと東京を拠点にする、ミラノ在住のビジネス+文化のデザイナーである安西洋之さん、そしてイギリス文化、ファッション史、および「ラグジュアリースタディーズ」の専門家で服飾史家の中野香織さんのお話しから、ポストラグジュアリーを読み解く。(構成:森旭彦)
ラグジュアリーは人間性の尊重・探求に根幹が移行
安西さんはまず、この20年間で、新しいラグジュアリーを体現したブランドとして、「ブルネロ・クチネリ」を挙げます。現在はエルメスと同等の格付け評価がされているブルネロ・クチネリは、イタリアのラグジュアリーファッションブランドです。
京都大学経営管理大学院教授
京都大学工学部情報工学卒業、同情報学修士、UCLA Anderson SchoolにてPh.D. in Management(経営学博士)。Xerox Palo Alto Research Center研究員を経て、2010年に京都大学経営管理大学院に着任。価値の最先端が「文化」にシフトする中、人文社会学に基づく文化の経営学を研究している。主な著書には、『「闘争」としてのサービス顧客インタラクションの研究』(中央経済社)など。2021年度から文部科学省価値創造人材育成拠点形成事業として「京都クリエイティブ・アッサンブラージュ」を立ち上げる。
非日常のドレスではなく、日常にあるエレガンスというのがブルネロ・クチネリの提案する服装です。そのデザインは、全体のコーディネートを重視しながら、アップデートされていくことが基本です。長期間にわたって着続けられることが特徴で、服は本社の100キロ圏内にある工房でつくられています。これらの特徴が、現代の文化的エリートに支持されているのです。
その歴史は1978年にカシミアを扱うことに始まります。当時のカシミアは男性向けの暗い色の多かったのですが、ブルネロ・クチネリは女性向けのカラフルなカシミアをつくってヒットさせました。
「人間らしいつきあいがお互いにできれば、自ずと創造性が発揮されるのですよ。その逆ではありません」(ブルネロ・クチネリ)
これが現在も貫かれているブルネロ・クチネリの哲学だといいます。
「これからのラグジュアリーを考える上で重要になることは、人間らしい日々を送ることのできる、人間らしさを尊重する文化をつくることです。ブルネロ・クチネリはまさしく人間性の尊重をテーマにしてきたブランドであり、現在は確固たる地位を築いています」(安西)
ブルネロ・クチネリは貧しい農民の子どもに生まれました。彼が中学生の頃、父親は農民をやめ、セメント工場の工場労働者になりました。すると、それまで明るかった父親がみるみるうちに暗くなったといいます。「彼は人間らしい扱いを受けなかった父親を見て育ちました。そして青年になったクチネリは、人間らしい働き方ができる、良い労働環境をつくろうと思い20代で創業したのです」(安西)
ブルネロ・クチネリは1978年に創業し、後に現在の本社がある中部イタリアの小さな街ソロメオへ移ります。彼は奇抜なデザインで驚かすようなファッションをつくることには関心はなく、すでにあるファッションをより良くすることに注力してきました。そして1985年からは、彼のライフワークとなるソロメオの街の再生を始めていきます。「美しさに責任を持つ」というローマ時代の皇帝ハドリアヌスの言葉を胸に、クチネッリは劇場や職人学校をもつくってきました。さらに2024年には、4-50万冊所蔵の図書館を設立予定です。「4-50万冊所蔵の図書館といえば、日本のさいたま市や静岡市といった県庁所在地のある市立図書館レベルです。そんな図書館を500人の街につくるわけです。哲学、建築、文学、詩、職人仕事に関する書物を世界中から集めることで、人間らしさのある社会に貢献するとしています」(安西)
ブルネロ・クチネリがソロメオの街で実践してきた人間性の尊重、深い精神性や意味を求めることが同社のラグジュアリーブランドとしての価値を支えています。これは、現在のポストラグジュアリーの潮流の最先端にいると言えるでしょう。
21世紀のラグジュアリーはベイン&カンパニー(ボストンに本社をおくコンサルティング企業)のミラノオフィスがオピニオンリーダ―となってきたといいます。そのベイン&カンパニーが2020年11月25日にイタリアのハイブランド企業の団体であるアルタガンマとの年次イベントで報告した内容はまさに、ポストラグジュアリーの方向性を指し示すものでした。
“この業界は2030年までに劇的に変わると類推されます。今後は『高級品業界』という括りではなくなり、『文化と創造性に秀でた商品が入り乱れる市場』になっていくことが予測され、高級品業界の企業には、大胆な思考の転換が求められることになると考えられます”
コンシャスラグジュアリーという潮流
続く服飾史家の中野さんは現在のポストラグジュアリーにどのような潮流があるのかについて話します。
中野さんはまず、ラグジュアリーの定義について、その語源から光(その時代を輝かせるもの)、繁茂、色欲という言葉で表現します。光はその時代を輝かせるものを意味します。繁茂すなわち豊かさはあこがれの対象です。そして色欲、言い換えれば誘惑は人間にとっては不可欠な要素であると言います。
そして中野さんは現在、ラグジュアリーの大変革が進んでいると言います。ラグジュアリーは本来、限られた支配層が自らの権威を示すためのものでした。しかし90年代以降に仏LVMHモエヘネシー・ルイヴィトンや仏ケリングといったハイブランドのコングロマリットが現われ、2000年代にはハイブランドの大衆化が始まり、大量生産、グローバリスムが過度に進み、持続不可能性が明らかになり、転換期を迎えることになったといいます。
「いわゆる古いラグジュアリーは情報や文化の格差がある世界における、富中心の世界観でした。排他的で特権的であり、それを持つことで階級や名声を与えるものでした。それに対し、新しいラグジュアリーでは、文化格差がなくなる世界での人間らしさの本質的価値追求が行われれます。包摂的で、文化創造とコミュニティの形成につながります。もちろんすべての価値が新しいラグジュアリーに取って代わられるわけではありませんが、私たちはこの転換をさまざまに目撃していくことになります」(中野)
そして中野さんは、新しいラグジュアリーとして「コンシャスラグジュアリー」を挙げます。
「コンシャスラグジュアリーは、エシカルラグジュアリー(2007年)、レスポンシブラグジュアリー(2009)、サステナブルラグジュアリー(2009年)に続く潮流です。コンシャスラグジュアリーでは、自分の本質と地球環境全体に意識を向けることが新しい価値、新しいビジネスチャンス、新しい文化をつくることになります」(中野)