1967年10月に開かれた吉田茂元首相の国葬で、献花する一般の参列者(東京都千代田区の日本武道館)。戦後の首相経験者の国葬は吉田元首相以来2人目となる1967年10月に開かれた吉田茂元首相の国葬で、献花する一般の参列者(東京都千代田区の日本武道館)。戦後の首相経験者の国葬は吉田元首相以来2人目となる Photo:JIJI

 元首相、安倍晋三の衝撃的な死から2週間あまり。事件直後に行われた参院選も霞んで見えなくなっているほどだ。それに比べて日ごとに大きくなっているのが「安倍が抜けた穴」ではないか。他を圧する影響力を持っていた安倍が忽然とこの世から消えて以来、政界全体が思考停止状態にあると言っていい。全ての面で安倍が現在進行形の政治家だったからだろう。安倍自身も6月6日に開かれた自民党参院議員、石井準一のパーティでこんな発言をして波紋を呼んだ。

「私はまだ67歳。もう5年は表舞台で活躍したい」

 安倍が口にした「表舞台」は3度目の首相への復活と受け取られた。常識的には、病気が理由とはいえ政権の座を2度も自ら降りた政治家の返り咲きはあり得ない。

 しかし、ポスト岸田文雄が星雲状態の中、自民党最大派閥の安倍派を率い、内政外交で発信を続ける安倍の姿は誰の目にも「復権への意欲」に映った。今となっては安倍が描いた将来の自画像が何だったのかは知る由もない。ただ言えるのは亡き安倍の影響力がなお消えていないこと。多くの政治家によって異口同音に発信されるキーワードが浮かび上がる。

「政治家・安倍晋三の遺志」

 岸田も参院選翌日の記者会見で安倍の遺志に触れた。

「(安倍の)思いを受け継ぎ、拉致問題や憲法改正など、ご自身の手で果たすことができなかった課題に取り組む」

 ただ、岸田は具体的にどのように取り組むかについては語っていない。今は「安倍の遺志」を尊重する姿を示すことが岸田の政権運営を安定させる最大のポイントだからだ。その「安倍の遺志」の尊重をもっとも分かり易い形で示したのが、岸田自身が発表した「国葬」ではないか。