「金もうけ」に冷め、
競技に惹きつけられない人たち

 なぜこんなにも冷めてしまったのかというと、スポーツとそこに真摯に打ち込むアスリートたちを、「打ち上げ花火的イベント」で瞬間的に持ち上げて、金もうけの材料にするということを、これまで繰り返し見せつけられてきたからだ。

 これはサッカーも同様だろう。2002年の日韓W杯はまだコンテンツビジネスとして今のように成熟もしていなかった。そのため、ナショナリズムも手伝って、日露戦争の時の日本のように勝った負けたと一喜一憂して、「ジャイアントキリング」(番狂わせの大物食い)だと、「にわかファン」も含めて大盛り上がりできた。

 しかし、夏冬の五輪、テレビ局が朝から晩まで宣伝を繰り返す巨大な国際スポーツイベントを繰り返し眺めているうちに、「ああ、金もうけ感がすごいな」と冷めてしまう人も増えていったはずだ。

 特にその競技に興味がない、スポーツ観戦自体にもそれほど惹きつけられない層からすれば、お気に入りのドラマやバラエティ番組を中止にさせて、朝から晩までスポーツの話をされても面白くない。

 だったら、アマゾンやネトフリで好きなコンテンツを見てた方がいいや…となる。そういうスポーツに対するネガティブな感情にトドメを刺したのが、汚職と利権にまみれた東京2020だったというわけだ。