「タダの人」にならないために
教団との付き合いが親密に
新人候補者が初めて選挙区に入るとき、党や派閥の幹部、地元のベテランのスタッフから、支持団体など票を入れてくれる組織や人にあいさつするように指示される。
学校の同級生くらいしか地元に知り合いがいない新人候補者は、勝手がわからず、言われるままに組織や人に頭を下げる。こういう支持団体の一つに旧統一教会がある。そこから候補者と教団の付き合いが始まるのだ。
新人候補者といえども、旧統一教会が霊感商法など「反社会的」な活動をしてきたことは当然知っているはずだ。だが、発言権のない新人に、支持団体との付き合いを拒否することなどできない。初当選後も、容易に関係を切ることはできない。
結果として、旧統一教会関連団体のイベントへの出席やあいさつ、祝電を続けることになる。逆に、教団関係者に政治資金パーティーの券を購入してもらうといった付き合いも続いていく。
「政治家は、選挙に落ちればタダの人」といわれる。もし新人候補者が当選した場合は、「タダの人」に逆戻りしないために、グレーな関係性はますます濃くなっていく。
要するに、自民党と旧統一教会の関係は、「党主導」そのものであり、個々の議員に主体性があるとはいえない。自民党では、各業界団体の票だけでは当選が難しい議員について、旧統一教会の票を割り振っていたという指摘があるくらいなのだ(第309回・p4)。
岸田首相や茂木幹事長が、自民党と教団の「組織的関係」を否定し、個々の議員の責任を押し付けたのは間違いだった。党の責任逃れであり、うそだといえる。メディアの追及によって、綻びが生じるのは当たり前なのだ。
その上、茂木幹事長は旧統一教会との関係を絶てない議員に「離党」を求める可能性にも言及した。結果として、恐れをなして本当のことを隠す議員が多数出てきてしまった。そこに「あら探し」を狙うメディアが群がり、ごまかしが次から次へと暴かれた。
私は、この問題の初期段階に、岸田首相が「党が旧統一教会との関係を主導した責任」を認めるべきだと主張してきた。そして、「個別の議員が自らの意思で教団との関係を拒絶するのは難しかった」と説明して、議員を守るべきだと主張してきた。
この問題を解決するための最適解は、首相の主導によって宗教法人法に基づく「質問権」を行使することではないだろうか。
旧統一教会の宗教法人格の認可を再審査し、場合によっては「宗教法人」としての認可を取り消すことも辞さない姿勢で接し、旧統一教会に変化を求めることしか現実的な解決はないはずだ。