時間稼ぎくらいには使えるだろうから、「方便として護憲派になる」という選択肢もある。ただし、「解釈改憲で何でもできる」との悪知恵もあるし、選挙の有権者数のかたよりのように違憲でも実行して開き直るという方法もある。将来世代には「時間稼ぎにしかならないと思っておけ」と言っておきたい。

 日本という国を実質的に動かしているのは、弱体化しつつあるとはいえ官僚組織だろう。政治家はシンクタンク機能を欠いた投票装置にすぎないし、メディアは官僚と同質のサラリーマンなので根本的な批判機能は持っていない。そして官僚組織は、経済の上層が活性化して羽振りのいい金持ちが大いにもうけることが嫌いだし、下層に対して手厚く再分配を行うことも好まない(努力と生産性が不足していると思っているのだろう)。

 つまり、「セーフティーネット構築を前提とした自由競争による経済活性化」は起こりそうにない(29)。この状況は「愚民均衡」(16)的な構造によって強固に支えられているので、変えることが極めて難しい(不可能だと断言はしないが、解決策は提示できない)。

 日本にあって、建前上は選挙を通じて社会を変えることができる。しかし、国のシステムと運営を根本的に変えることはあまりにも難しい。「手による投票」による選挙権は使える限り有効に使うといいので投票には行くべきだが、影響力に大きな期待はできない。個人として無駄が小さくかつ社会に対しても有効なのは、海外移住、国内移住、転職、ライフスタイルの変更など、広義の「足による投票」の方だろう(30)。

 個人としては、日本をより良くする機会を求めつつも、仕事、人間関係、資産、生き方などのフットワークを強化しつつ日本と現実的に付き合いたい。

 最後に一つ付け加える。筆者は、脱日本や海外投資を推奨したいと思っているわけではない。現在の「安いニッポン」には、個人や企業がお金、時間、努力などを「投資」する上でむしろ大きなチャンスが存在しているように思う。