筆者も章一郎名誉会長には、現役記者時代に何度もインタビューや取材する機会を得たが、謙虚な人柄だった。トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎氏の長男であり、父の早逝で1952年に当時のトヨタ自工に入社、27歳の若さで経営陣に加わった。

 章一郎氏にとって従甥の関係だが兄的存在でありトヨタ中興の祖と言われた豊田英二元社長から帝王学を学び、81年にトヨタ自販社長に就任し、翌82年の工販合併による現在のトヨタ自動車初代社長に就任した。トヨタのグローバル化への道筋をつくった経営者で、自工会会長、日本自動車会議所会長から経団連会長も務めた。トヨタでは82~92年社長、92~99年会長を務め、99年から名誉会長に就任した。

 豊田英二氏とともに、寡黙なタイプだが「禅問答」風な軽妙、洒脱な話ぶりだった。好きなゴルフの話を持ちかけるとにこやかに応じてくれ、パーティーでは最後まで立ちっぱなしで「ホストは最後までいるんだ」と周りを気遣う人柄だった。

 あるとき、ゴルフ場でラウンドしていたらキャディさんが「前に回っているのは、トヨタの章一郎社長と息子さんの章男さんですよ」と教えてくれた。親子二人で仲むつまじくラウンドしていたので声をかけずに、後日パーティーで「後ろの組で回っていたんですよ」と話すと、「そうか。あの日は調子が良くてね」とにこやかにスコアを教えてくれたのを思い出す。

 章一郎名誉会長は弟の達郎氏に次のトヨタ社長を託したが、達郎氏が病気で倒れて、奥田碩社長を急遽抜てきした。当時、トヨタ自販出身の奥田氏を見いだした章一郎社長の慧眼が注目されたこともあった。