一つ目は、武力を背景とした覇者の論理である。鎌倉・室町・江戸という3つの幕府による支配はまさにそうであるが、武力が圧倒的でなくなると弱体化する。

 二つ目は、国民の意思による支持だ。ただ、民主主義は、独裁者を選ぶだけでなく、その後の国家運営も民主的でなければならないから、なかなか安定しない。

 そして三つ目は、君主制で、前例に倣った世襲ということが正統性の根拠である。当然、歴史が長いことと、継承原則も昔から同じであるほど堅固である。

 日本の場合は、宮崎県出身の武人で、その曽祖父が天上の神々の世界から降りてきたというイワレヒコ(神武天皇)が紀元前660年に奈良県の橿原で建国し、その国が発展して仲哀天皇・神功皇后・応神天皇の時代に日本の統一国家とされている。

 この歴史について異議を唱える人はいるわけで、王朝交替があったので万世一系とはいえないという。また、作家の百田尚樹氏は著書『日本国紀』のなかで、「王朝交代があった可能性は高いが、万世一系と信じてきたことが大事」という主旨の特殊な主張を展開している。私は日本最古の勅撰の歴史書である『日本書紀』については、長すぎる古代の帝王の寿命を補正すれば、その内容はだいたい信頼できると思っているが、それについては、別の機会に論じたい。

「万世一系」は日本だけ?
1000年続く諸外国の王室

 しばしば、保守系の人などが、「日本国家は世界最古」「万世一系は日本だけ」と言いたがるが、それはおかしい。

 確かに中国では、王朝交替が頻繁で、禅譲という形式を踏むというルールも明確化されていた。ただ、あまりに頻繁な王朝交代は良くないという意識はあったようで、北宋の太宗は日本からの留学僧・奝然から万世一系の話を聞いて、「日本は島夷だと思っていたのに、王統は一姓伝継で、臣下もみな世襲とは!中国のいにしえの理想の道を実現しているのは、われらではなく、なんと、彼ら日本人のほうではないか」と嘆いたとされている。

 しかし、韓国では高麗も李氏朝鮮も約500年安定していた。中央アジアではチンギス・ハーンの子孫であることは、帝王であるための重要な条件だったし、チンギス・ハーンの血統が重んじられた結果、その子孫は1500万人ほどいるというDNA分析からの推計もあるくらいだ。

 ヨーロッパに目を移すと、英国王室は、1066年にイングランドを征服したノルマン人のウィリアム1世(フランスのノルマンディー公ギヨーム)が神武天皇のような存在で、ノルマン人の習慣に従って、女王や女系相続が認められたので、王朝名が頻繁に変わっているだけだ。

 細かいところまで言うと複雑だが、主要なところでは、ノルマン朝→プランタジネット朝(フランス系)→テューダー朝(ウェールズ系)→ステュアート朝(スコットランド系)→ハノーバー朝(ドイツ系)→サックス・コーバーグ・アンド・ゴータ朝(ドイツ系。第一次世界大戦中にウィンザー朝と改称)と移っている。