Tポイント「生みの親」に成功を確信させた、約20年前のVISAとJCB首脳との対話

ビデオレンタルのTSUTAYAを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が生んだ日本初の共通ポイント、Tポイント。当時のCCC首脳でTポイントの「生みの親」は、構想段階にもかかわらずポイントの共通化に手応えを感じていた。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#4では、CCC首脳に成功を確信させたVISAやジェーシービーなど大手クレジットカード会社の首脳との約20年前の対話の中身を紹介する。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)

TSUTAYA加盟店にポイントの共通化を訴え
電通社員が発見した「英国の面白いビジネス」

 2000年11月末、のちに日本初の共通ポイントであるTポイントを立ち上げるカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)取締役の笠原和彦は全国を飛び回っていた。

 わずか4日間で札幌から東京、大阪、福岡を回る強行スケジュールの目的は、TSUTAYAの加盟店のオーナーに会員カードの共通化への理解を呼び掛けるためだ。

 ビデオレンタル業で快進撃を続けてきたCCC。全国展開するTSUTAYAの店舗網は1000店を突破し、その勢いはとどまるところをしらなかった。だが、ボトルネックがあった。加盟店ごとに会員カードが共通化されていなかったのだ(#3『Tポイント誕生の知られざる物語、「生みの親」が着想を得た23年前の仰天した出来事』参照)。

 同じTSUTAYAでも異なる店を利用するたびに新しい会員カードをつくらなければならない。事業が拡大すればするほど、顧客の不満は膨らんでいった。けれども、加盟店のオーナーは「自分の店の客が減ってしまう」と共通化には消極的だった。

 笠原は各地のオーナーにカードの共通化のほかに、こう付け加えて回った。「どこでも共通に使えるポイントサービスを展開したいと考えている」。単に会員カードを共通化するのではなく、新たなポイントサービスを、加盟店向けに付加価値として提案したのだ。

 日本初の共通ポイント、Tポイントがスタートするのは、2003年10月のこと。オーナーの中にその言葉の意味が理解できたものはほとんどいなかった。それでも笠原が“共通”のポイントについて触れたのは、加盟店の抵抗を少しでもやわらげたいという思いがあった。

 加盟店オーナーへの説得工作を進める一方、笠原の頭の中は、共通のポイントというアイデアをどう具現化するかということで占められていた。

 01年1月、笠原は東京・恵比寿ガーデンプレイスにあるCCC本社で、電通の営業部長だった平野光隆と面会した。笠原と平野の縁は、CCCが1995年に衛星放送事業「ディレクTV」に参入した時にさかのぼる。

 電通の平野はディレクTVの宣伝を任されていたのだ。CCCは98年にディレクTVから撤退を余儀なくされるが、平野はCCC担当として付き合いは続いていた。

「海外に面白いビジネスがありますよ」。平野は笠原にそう切り出した。