洋服の青山Photo by Kazuki Nagoya

日本初の共通ポイント、Tポイントを2003年に立ち上げたカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)にとって、最大のミッションとなったのが加盟店網の拡大である。だが、草創期の加盟店開拓は悪戦苦闘の連続だった。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#11では、マツモトキヨシや無印良品といった有力チェーンを巡る苦闘に加え、苦境にあったTポイントの「生みの親」を救うことになったアパレル大手などとの加盟交渉の内幕を明らかにする。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)

スタバやモス、オートバックスなどに営業も
マツキヨと無印良品はテスト導入後に見送り

 2003年10月に日本初の共通ポイントであるTポイントを立ち上げたカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)にとって最大のミッションが加盟店網の拡大だった。だが、加盟店の開拓は容易ではなかった。『すかいらーくはTポイント参画に丸4年!革命的な「1業種1社」ルール考案も加盟店開拓は難航』で触れたように、外食大手のすかいらーくの加盟に丸4年を費やすなど、営業活動には時間と根気が必要だった。

 Tポイントの「生みの親」であるCCC副社長の笠原和彦は、加盟店の獲得に奔走する。04年の予定を記した笠原の手帳からは、積極果敢な営業活動の一端が垣間見える。

3月 アミューズメント施設運営のラウンドワン
4月 日本マクドナルド社長の八木康行
4月 マツモトキヨシ専務の吉田雅司
7月 「無印良品」の良品計画専務の金井政明
8月 オートバックスセブン社長の住野公一
8月 スターバックスコーヒージャパン創業者の角田雄二
8月 ワールド社長の寺井秀蔵
8月 「カメラのキタムラ」のキタムラ会長の北村正志
9月 サンクスアンドアソシエイツ(現ファミリーマート)元社長の橘高隆哉
10月 モスバーガーのモスフードサービス社長の櫻田厚
11月 マツモトキヨシの吉田雅司

 いずれも分厚い顧客基盤を持つリテールの有力企業ばかり。参画してもらえれば、Tポイントの大きな“ウリ”になる。当初、笠原は営業先で一部店舗でのテスト導入を推していた。Tポイントの効果に自信があったからだ。

 それに乗っかったのが、マツモトキヨシである。笠原のカウンターパートで、後に社長に就く吉田の主導で、一部の店舗で試験的に導入した。また、03年にクレディセゾンとの提携クレジットカードの利用額に応じたポイント還元をやめていた良品計画も、06年に20店舗で導入した。

 だが、ここで誤算が生じる。いずれも思うような効果が上がらなかったのだ。理由は二つあった。一つが、限られた店舗だけで導入するため、Tポイントの大々的な告知ができないことだ。会員でもマツモトキヨシでTポイントを使えることが分からない。

 店舗側にも課題があった。「Tポイントカードはお持ちですか」といった声掛けなどが徹底されにくいのだ。一部店舗の店員だけにそうした声掛けを求めるのは難しい。その後、笠原はテスト導入を“封印”する。営業のマイナスになると判断したためだ。

 結局、両社とは縁がなかった。笠原は、吉田が社長を退任する11年ごろまでマツモトキヨシと粘り強く交渉を続けた。Tポイントに理解を示した吉田が検討組織を立ち上げようと創業家出身の会長、松本南海雄に上申したことはあったが、最終的には決まらず。その後もマツモトキヨシがTポイントに加入することはなかった。

 良品計画も導入を見送った。「無印だから、色を付けたくない」。当時専務で後に社長に就く金井は笠原にそう告げた。良品計画は13年に自社のポイントサービスを立ち上げる。金井の発言通り、良品計画はTポイントを始めとする共通ポイントには加盟していない。

 Tポイントの草創期の加盟店開拓は、空振りも相次ぐ悪戦苦闘の連続だった。だが、苦境にあったTポイントの”救世主”となる企業が幾つか現れる。