所長も課長も経験がないか
やりたくないんじゃないですか?

「責任…誰?」

「そうです、責任ですよ。全員経験がないのだから、突然今日からやれと言われてもむちゃです。皆そう言ってます」

「『皆そう言っています』というのは、あなたの『推測』ですよね」と言ってやりたかった。彼女はしばしば、こうした発言をする問題児の一人である。会議が終わって1分もたたないうちに、全員に意見を聞くなんて不可能だ。

「いきなりやれって、心理的安全性って言うんですかね?思ったんですが、支店長から目黒課長が取りまとめを命じられたんですから、そこは目黒課長が責任持ってですね…」

 心理的安全性。自分には経験や能力がなくても、不安を感じず業務に取り組めることを約束し、非難されることなく、誤っていたとしても罰を受けることなく、メンバーの誰とでも自分の意見を率直に言い合える「安全性」を指す言葉だ。エイミー・エドモンドソン教授が1999年に提唱し、グーグルが2015年に発表したことから、その概念が広まったとされている。

 エドモンドソン氏は、心理的安全性を評価する7項目のアンケートを開発している。1項目目は「このチームでは、ミスをしても責められることはない」、5項目目は「このチームでは、他のメンバーに助けを求めやすい」である。

 私はミスをしても責められない、さらに、他のメンバーに助けを求めてもよい…言いたかったのはそこだろう。回りくどく「心理的安全性」とはやりのビジネスキーワードを持ち出して、もっともらしく大衆の総意に仕立て上げるところなど、電話で聞いているだけでも腹立たしくなる。

「ですからー、目黒課長がですねー」

「支店長からは、各支店の特例対応がうまくいくように仕切れとは言われたけど、責任を取れとかそんな話じゃなかったけどね。馬車道出張所だって所長も課長もいるじゃないか」

「所長も課長もこんな経験がないでしょうし、やりたくないんじゃないですか?」

 (それもあなたの「推測」ですよね?)

「わかったよ。今日一日、該当するお客が来て判断に迷うことがあれば、すぐに僕の携帯電話に電話してください。馬車道出張所からの電話は最優先で対応するから安心してください」

「ハイハイ…」

 電話を一方的に切られた。しかも「ハイ」が2回だった。私がはっきりと責任を取ると言わなかったことが、よほど不満だったんだろう。