銀行に「顧客利益の追求」が
浸透するのはまだまだ先
たまに、このような役職者に遭遇する。どうしてこいつが役付きになったんだろう?と首をかしげざるを得ない。「給料は高いに越したことはないが、責任を取るのはまっぴらごめん」というわけだ。上司の最大の責務とは、まさに責任を取ることではなかったか。
午後3時、閉店の時間だ。結局、年始の初日に私の在籍するみなとみらい周辺の支店、出張所には預金払い出しに来た被災者はいなかった。そして、今日に至るまで来店はしていない。
「ああ、よかった」で済まされる話ではない。しかし、こんな役職者がのさばっている支店に被災者の方々が来店し、不愉快な気持ちにさせてしまうことがなかったことに、私は安堵(あんど)した。
地震や台風による災害の後、家電メーカーが自社製品を利用している人に向けて、修理の案内を行っているのを見かける。「ただ作って売るだけではない」という姿勢は素晴らしいと感じる。
一方、銀行には、有事において、本人確認が不十分であることを理由に追い返してしまいたい、しかしそれはできないので、せめて責任は取りたくないという役職者がまだいるのが現実だ。
目黒冬弥 著
「お客様に寄り添う」
接客業の多くが、このフレーズを口にする。聞こえがいいのは確かだし、何よりも現在、金融機関が前面に出す「フィデューシャリー・デューティー(Fiduciary Duty:顧客利益の追求)」にふさわしい態度だ。ところが、自社利益ばかりを躍起に追求してきた年齢層の社員には、その精神がない者がまだまだいる。残念だが、浸透には当分時間がかかりそうだ。
入社して数十年もの間、つらいこともあった。喜びもあった。お客や同僚に怒鳴られたり、感謝されたりもした。今日も、この銀行に感謝しながら勤務している。
(現役行員 目黒冬弥)