食べて無病息災!らくたびセレクト「三大厄よけ菓子」
千利休が大成した茶の湯の発展に伴い、江戸時代には庶民も砂糖を使った菓子を食するようになりました。生菓子のような濃茶用の「主菓子」、落雁(らくがん)や煎餅(せんべい)のような薄茶用の「干菓子」が生み出され、製法や味が研ぎ澄まされていきます。
「京菓子」という言葉、明確な定義はありませんが、都で育まれた気候風土の下で作られ、京都ならではの繊細な季節の移ろいが感じられるものを称することが多いようです。
では最後に、「嘉祥の日」にちなんで、あまたの神社仏閣がある京都の門前名物の中から、らくたびセレクトによる「三大厄よけ菓子」をご紹介しましょう。ぜひ、現地を訪れてご賞味ください。
まずは、第50代桓武天皇が平安遷都の際、早良親王らの怨霊を鎮めるために創建したという上御霊神社(上京区)へ。最寄りの地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅から3分ほどです。門前にのれんを掲げる水田玉雲堂の「唐板(からいた)」は、小麦粉、砂糖、卵、塩を混ぜ、薄く延ばして短冊状にカットし、銅板で両面をカリッと焼き上げたほんのり甘みのある京煎餅です。
唐板の起源は、863(貞観5)年。第56代清和天皇が都に蔓延した疫病を鎮めるため、神泉苑で御霊会(ごりょうえ)を執り行った際に神前に供え、疫病よけの「唐板煎餅」と名付けて、民衆に与えたのが始まりです。応仁の乱により一時途絶えましたが、古書を頼りに復興。以来、500年の間、門前の厄よけ菓子として親しまれてきたものです。
次は、京都三奇祭の一つ「やすらい祭」で名高い疫病よけの今宮神社へ。上御霊神社の最寄り駅の隣駅「北大路」から20分ほど歩いても行けますが、市バス46系統「今宮神社前」停留所なら目の前に着きます。
東門前の参道を挟んで向かい合わせに2軒立つ茶店の「あぶり餅」が門前名物です。小さくちぎった餅にきなこをまぶして炭火でパリッとあぶり、特製の白みそダレを絡めたもので、参道北側の「一文字屋和輔」は平安時代1000(長保2)年の創業。第66代一条天皇の御代、紫野の疫神(スサノオノミコト)をまつる社を再興して疫病退散を願ったことにちなみ、厄よけの菓子として親しまれるようになったと語り継がれています。
最後は「みたらし団子」。全国区で愛される串団子ですが、その発祥とされ、名前の由来とされるのは、世界遺産の下鴨神社境内にある御手洗(みたらし)池です。球形なのは、この池に浮かぶ泡を模しているのだとか。また、串に刺した5つの団子のうちひと粒だけ少し離れているのは、人間の五体を表すからとも。下鴨神社と通りを挟んで西側にある“加茂みたらし茶屋”亀屋粟義が、その伝統を受け継いでいます。
蒸し暑さが増していくこの時期を乗り切るためにも、御利益たっぷりの由緒ある京菓子巡りをお楽しみください。