「遅刻者がいて会議が時間通りに始まらない。この文化を放置してはいけません」
そう語るのは、これまでに400以上の企業・自治体・官公庁等で、働き方改革、組織変革、マネジメント変革の支援をしてきた沢渡あまねさん。その活動のなかで、時代遅れな体質をもつレガシーな組織には共通する文化や慣習、空気感があり、それらを見直していくことで組織全体の体質を変えていけると気づきました。
その方法をまとめたのが、書籍『組織の体質を現場から変える100の方法』です。社員、取引先、お客様、あらゆる人を遠ざける「時代遅れな体質」を変えるためにできる、抽象論ではない「具体策が満載」だと話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、「時間通りに始まらない会議」が組織体質に及ぼす悪影響について指摘します。
会議が時間通りに始まらない組織
「当社は時間通りに会議が始まることが少ない。これって当社の企業体質であり文化かも……」
ある日系大企業で組織文化についてディスカッションしていた際、同社の複数の社員から挙がった声である。
会議の開始時間に参加者が集まらない。毎度ギリギリまたは開始時間が過ぎてから会議室に駆け込む(オンラインミーティングであれば「ログイン」する)。それが日常の景色になっている企業は少なくないようだ。
そういえば、過去に何度か上記の会社の人から「当社は時間ギリギリにならないと集まらない人が多くて、スミマセン……」と申し訳なさそうに言われたことを思い出した。
かたや時間通りに会議が始まるものの、時間内に終わらせるのが苦手、あるいは時間をめいっぱい使いきろうとして議題を次から次へと盛り込む企業もあるから面白い。会議に対する時間の意識一つとってみても、その企業の体質や文化を察することができる。
さまざまな慣習や制約が折り重なっている可能性も
会議が時間通りに始まったためしがない、時間より早く終わったためしがない。そう聞くと「だらしない人たち」「時間にルーズな人たち」と思いがちだが、決してそうとは限らない。
・そこに会議室間の移動が加わる
・その結果、次の会議の開始が遅れてしまう
・それにともなって終了時間もズレこむ
・次の会議の開始が遅れる
このようなメカニズムが働いている可能性がある。
また、会議を運営するための仕組みや制約が遅刻の常態化を助長している可能性もある。
・おのずと会議が60分刻みで設定される
・移動時間を考慮せず、立て続けに会議が設定される
この連鎖をどこかで断ち切れば、あなたの職場でも時間通りに始まり、場合によっては時間より早く終わる会議を習慣化できる可能性はある。
たかが5分の遅刻が共創体質を遠ざける
このような「しかたのない理由」によって会議開始の遅延が常態化している場合も多い。とはいえ、しかたないで放置するのもいかがなものか。
誰かが会議に遅刻する一方で、時間通りに到着している人もいる。そういった人を待たせることは失礼であり、会議の質そのものも下げる。
また「少しくらい遅れても大丈夫」を看過していると、やがて締め切りなどに対して「1日くらい遅れても大丈夫」「1週間くらいは大丈夫」「注意されたら提出すればいい」など悪い方向に発展していく。こうしてだらしない組織文化や、自分本位な思考と体質が蔓延していく。
そうかといって、誰かが遅刻した人を厳しく咎めだてしようものなら、会議の空気は開始から重たくなる。
遅刻して慌ただしく参加した精神状態では、議題を理解したり、理路整然と意見を組み立てて発言したりもしにくい。活発な意見や前向きな議論がしにくくなる。他の参加者との気持ちよい意見交換、ひいては共創が妨げられる。