ひたすら幸運に恵まれた子育て環境だったが、もちろん筆者宅自身も周囲への気遣いは最大限した。「遊ぶときの声がうるさくなりすぎないか」には特に気を遣い、中には子どもが好きじゃない方もいるだろうから、慎ましくいることを心がけた。こうした姿勢がご近所さんに伝わり、理解してもらえたのだと考えている。

 だが、この子育てができたのは、その地域のその環境だったからこそ――という気もしている。もっと都会になれば若い人が増えるし、ご近所さんとの関わりも減る。そうした環境の人たちに向けて「子どもを大切にする社会に」と一足とびに要求しても、理解を得るのは難しいのではないか。

「子どもを大切にする社会に」といった呼びかけはゴールを示し、意識を高く持たせてくれる意義あるものである。これと並行して地域社会のあり方を問うたり、ご近所さんとのコミュニケーションを発生させたりといった、「子どもを大切にする社会」を呼びかけて手応えを感じられるだけの前提を築いていく必要がありそうである。

感じが悪かった隣家の印象が一変
人は実は単純な生き物

「近所に引っ越してきた若い家族は感じが悪かったが、挨拶したらすごくいい人たちだとわかった」――これは都市部に住む筆者の父の言葉である。人間というのはこれくらい単純で、人への印象を簡単に改めることができる。

特によそのお子さんは最初はあまりかわいく感じられないが、知るほどにかわいく思えてくるものである。主義を押し付けず、双方が思いやりを持ちながら、自然に歩み寄れる道を焦らず模索するのが、無理なく仲良く平和に暮らせる一番の近道となるはずである。

 そのうえで、やはり常識を逸脱して迷惑をかける保護者というのはどうしてもいるので、そこを法律がカバーしてくれたら最強である。