2009年の第41回の開催では来場者が61万人と100万人を大きく割った。東京ビッグサイトに会場を移してからも100万人割れが続き、米国・中国メーカーからの出展もなしと、アジア最大のモーターショーの代名詞は中国に取って代わられていくことになった。

 これに危機感を強く持ったのが、自工会の会長を異例の3期6年務めた豊田氏だった。自動車産業が100年に一度の大転換期を迎える中、「日本連合の団結」を求めた豊田氏は、その一環で「東京モーターショーの復活」を強く提唱した。

 豊田氏は、東京モーターショーの立て直しのために、東京オートサロンとの連携なども含めてあらゆる工夫を凝らした。その結果、前々回のモーターショーは来場者130万人と大幅な復活を果たした。さらに、すでに述べてきた通り、昨年にはジャパンモビリティショーへと名称と内容を衣替えしたほか、経団連にモビリティ委員会を新設するなど、経済界挙げてのモビリティ産業共創へと進んだのだ。

 余談だが、筆者は幕張メッセで毎年初頭に開催されている「東京オートサロン」の主催者から頼まれて、2015年から7年間、東京オートサロン実行委員を務めていた。

 オートサロンの人気は東京モーターショーを上回るもので、3日間の期間で30万人以上の集客を誇る。かつてこのイベントはカスタムカー専門の「東京エキサイティングカーショー」だったが、若者の人気に着目したトヨタが出展してから、ほかの完成車メーカーも出展するようになり、いまや国内最大級の自動車イベントに位置付けられるようになった。

 筆者は実行委員の時代に、オートサロンと東京モーターショーの連動に向けた働きかけを自工会に行い、自工会に東京オートサロンへの後援を実現させた。当時の豊田章男自工会会長から「モーターショーとオートサロンの集客力がなぜ違うのか」と直接聞かれたこともある。その意味では、東京モーターショーの復活には、筆者も大いに関心を寄せていたところなのだ。