この図像はおそらく、「ヴェロニカの聖顔布」から着想されたものだろう。ヴェロニカなる架空の女性がゴルゴタに登るイエスの顔を布でぬぐうと、その布に主の顔がぼんやりと浮かび上がってきたという中世の伝承に基づくもので、彼女や天使がこの「聖顔布」をかざすところが、やはり中世末期から盛んに描かれてきた。
ここまで見てきたのは、主に時祷書写本のなかの細密画で、これらを手にすることができたのは、裕福で身分の高い階層――主に女性――だったと想定されるが、同様の図像は、もっと安価に入手できる版画としても広く流布していた。
このことは、たとえば木版画の《キリストの脇腹の傷の寸法》(5-2、15世紀末、12×8㎝、ワシントン、ナショナル・ギャラリー)などが証言している。「ヴェロニカの聖顔布」を頭部にして、アーモンド型の傷が胴体となり、さらに両手と両足が添えられる。傷口のなかには十字架と心臓も見える。
さらに傷の両脇にはドイツ語の銘文が刻まれている(以下の訳は美術館ホームページの書き起こしに基づく)。
左には、「これは、十字架上で刺されたキリストの脇腹にできた傷口の幅と長さである。悔恨と悲しみと信心をもってこの傷に口づけする者は誰でも、そのたびに教皇インノケンティウスから7年間の贖宥が与えられるであろう」とある。
右には、「信心をもってこの傷に口づけする者は誰でも、突然の死や災難から守られるであろう」と書かれていて、まさに「口づけ」の対象であったこともわかる。