ところが、この捨象と抽象は友人に対してだけでなく、裏切り者に対しても適用されます。
1度は心から信頼した相手だけに憤りは強く、裏切り者のネガティブな要素ばかりがグループ内でどんどん蓄積されていき、以前とは正反対の集合体が構築されてしまいます。
総体を知らないからこそ、苦手な部分を見ずに済んでいたのが一転、今度はその反対に、あるはずのよい部分が一切見えないがために極悪人として抽象化されやすいのです。かつては互いに信頼しあっていたため、個人情報を共有してしまったというケースもあるでしょう。
不幸中の幸いだったのが、Bさんは大まかな居住地は伝えていたものの、個人を特定できる情報は最後まで伏せていたことです。ネッ友からリア友に発展する1歩手前であったため、トラブルはネット上のみで済みました。
同コミュニティの男子高校生のなかには、顔写真・本名・高校名を伝え、Bさんと個チャ(個人チャットの略で、1対1でメッセージのやりとりをすること)をしていた生徒もおり、しかもBさんの個人情報を盛んに求めていたようなので危ないところでした。
「ネッ友に会う=危険な行為」と
子どもへ押し付けられない理由
一方、私たち大人から見ても、それほど違和感のないSNSを利用したリア友の作り方もあります。インスタを通じ近隣の中高生たちとリア友になるというパターンもまた、その1例だと言えます。