小説・昭和の女帝#26Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】60年安保闘争の“革命前夜”、「昭和の女帝」真木レイ子はデモ隊に国会周辺で包囲されたが、命からがら抜け出した。日米安保改定と引き換えに、内閣総辞職した岸信介の後を継いだのは、レイ子とツーカーの仲である池田勇人だった。彼女は自民党幹事長の秘書として権勢を振るうようになったが、思わぬところに落とし穴があった。(『小説・昭和の女帝』#26)

党幹事長秘書の仕事を投げ打ってレイ子が向かった先は…

 日米安保改定と引き換えに、内閣総辞職を余儀なくされた岸信介の後を継いだのは、吉田学校の最高幹部である池田勇人だった。明るくさっぱりした性格の池田はレイ子と馬が合い、ツーカーの仲だった。

 池田は、総選挙を首尾良く乗り切った。社会党と民社党が分裂したことによる敵失の面が大きかったが、池田が掲げた「所得倍増計画」に支持が集まったことも事実だった。

 池田内閣で、粕谷英雄は自民党幹事長に就いた。72歳の彼は、老人にありがちな癇癪持ちになっていた。ぼうっとしているかと思えば突然怒り出すので、当然、人望はなくなる。仕事はレイ子が差配するようになり、それが隠せなくなると、口さがない政界関係者からは「真木幹事長、粕谷秘書」などと軽口を叩かれる始末だった。

 レイ子にとって幹事長の秘書はそれまでで最もやりがいのある仕事で、副総理秘書官の比ではなかった。政策という政策はすべて幹事長の下を通る。関係者の意見を調整して党の方針を出させるのも幹事長だ。選挙の候補者を決め、選挙運動を指揮し、資金の手当てをする。陳情は朝から晩までひっきりなしだ。都道府県知事、県会議員はどんどん幹事長室にやってくる。あっという間に日本中に人脈ができた。

 幹事長の名代として真木レイ子の名は政財界に知れ渡った。例えば、財界幹部との会食に彼女が粕谷の代理で出席しても、経営者らは不満な様子を見せないどころか、「真木先生さえ来てくれれば、本当にもう十二分です」と言ってはばからなかった。彼らからすれば、酔うと訳が分からなくなる老人が来るよりも、要請をてきぱきと片付けてくれる美女が来てくれたほうがありがたいのだった。

 父の真木甚八に仕込まれただけあって、彼女のカネの配り方は一級品だった。各選挙区の候補者の実力と実績、過去に与えた金額などを分析し、最適な額を配った。従来は、総理大臣や幹事長を出している派閥に手厚くなりがちだった。レイ子はそれを正し、所属する派閥にかかわらず、本当にテコ入れが必要な当落線上にいる候補者に手厚くカネが渡るようにした。前述の通り、池田は総理総裁として迎えた初の総選挙で自民党の議席数を伸ばしたが、その裏にはレイ子の貢献があった。

 日米安保に乗っかることで軽武装を維持し、国民を豊かにしようとする池田の政策は、レイ子にとっても好ましいものだった。彼女は永田町で働くようになっても、戦時中に焼野原になった東京で見たものを忘れることができなかった。難しい経済政策はよく分からなかったが、自分が政治にいくらかでも関われるならば、戦争の災禍が再び起きないようにしたかった。

 彼女は自分の仕事に自信を深め、粕谷はほとんど口出ししなくなっていた。

 ところが、好事魔多しというべきか、粕谷との間に亀裂が入ったのはそのころだった。